若子城
若子城([高根城 周辺城郭])
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若子城の口コミ情報
2023年04月04日 RED副将軍
小規模ながらも急峻な岩山に二重堀切が残る武田氏の拠点🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。奥山定吉により高根城の支城として築かれたと云われます。
奥村氏は、嫡男の貞益は久頭郷城を継ぎ、次男の定茂は水巻城、三男の定吉は大洞若子城、四男の定友は小川城の城主となりました。
北遠江は今川氏、武田氏、徳川氏の勢力争いが激しかった地で、今川氏が衰退すると奥村定吉は武田氏に属しましたが、今川氏に付いたりと兄弟間で分裂。
武田氏の拠点として大洞若子城は機能したとされます。
しかし次兄の定茂も武田氏に属していましたが謀反を起こして大洞若子城に侵攻。奥村定吉は城を追われました。やがて徳川家康が勢力を拡大すると、徳川氏により奥村定茂は排除されました。奥村定吉の孫である奥村貞成は徳川家康の陣中にあり、1581年に奥村貞成は徳川家康から所領を戻されました。
見所
大洞峡と水窪川の間にある標高130mの山陵先端部に築かれています。険しい岩山の尾根に三つの郭が連なるコンパクトな縄張りです。尾根先端部が主郭であり背後は険しい天然の岩壁となっています。南側の尾根に一段下がって二郭があり、その先の三郭とは二重堀切で区切られており一番の見所です。三郭の南側の堀切は登城路となっています。
行き方は、国道152号から城西大橋で水窪川を渡ると直ぐのY字路を右手に行くと登城口がありますが駐車スペースが狭いです。Y字路を右に行っても別の南端の堀切に辿り着く登城口があります。こちらは駐車スペースが広いのでオススメです。
2021年03月29日 山西の無職人千閑斎
以前から気になっていましたが、御城印が発売されたのを機に訪れて見ました。
R152を北上し飯田線城西駅を過ぎ少し行くと右側に「大洞若子城」の看板があります。
ここを曲ります、水窪川に掛かった橋を渡り道なりに突き当たりまで行くと、神社の倉庫等が有る広場があります。ここに駐車させていただきました。案内看板が有るのでこれに従い山を登って行けば10〜15分程度で主郭に到達できます。
二の曲輪手前の二重堀切は外側が薬研堀、内側が箱堀になってます。
主郭の神社は磐座が御神体です。天白磐座遺跡は勿論、井伊谷城、御岳城にも磐座があります。ここの磐座も古い祭祀の場だったと思います。
高根城に近く比較的に簡単に登れるので、高根城を訪れた際には登城をお勧めします。
2021年02月17日 陸奥守たろす
【若子城(大洞若子城)】
静岡県浜松市天竜区佐久間町相月
【概要】
◆築城年代は定かではないが北遠江国人高根城主奥山定之の三男奥山定吉によって築かれた。
(奥山氏は長男貞益が惣領家高根城を継ぎ、次男定茂は水巻城、四男定友が小川城と兄弟で支城を築城。)
◆次男水巻城主奥山定茂には野心があり、惣領家も含め次々兄弟の城を攻め、敗れた定吉は城を追い払われたという。
◆水窪川と沢に挟まれた標高約321mの尾根先端部に位置する。
◆尾根の南に二の曲輪、その南に小郭があり二重堀切がある。北の石段を登った最高所に本曲輪がある連郭式城郭。
【遺構】
◆駐車場から沢沿いを登城し始めると、まるで①巨岩を利用した虎口を彷彿させる空間に心が踊ります。
◆10分も立たず城域に達する。南北に延びる尾根を利用した連郭式城郭だが二の曲輪の②横っ腹に取り付く。
(この登城路が往時からのものかは?)
◆メインディッシュは残して、まずは突き当たり右の石段を登り③本曲輪に。
◆今は社殿が建つ本曲輪には巨岩が残り社殿裏は④断崖絶壁!
◆さあ、メインディッシュを味わいに尾根を南に下り⑤二の曲輪に。
◆防御機能(山城遺構)が少ない城にあって最大の見処である⑥二重堀切!これだけで満足です♪
◆⑦二重堀切の一つとっても癒されます♪
◆二重堀切の南側の細尾根を下った⑧堀切らしき所(看板あり)で城域は終わりと考えます。
(さらに南は登り、東側には棚田が広がり麓に繋がる、往時はここが大手か?)
【総評・所要時間】
◆ここも本当に小さなお城ですが二重堀切は必見!何度も言いますが必見です♪
◆登城時間も含め30分程でお気軽に散策できる山城です♪