光明城
光明城([犬居城 周辺城郭])
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光明城の口コミ情報
2026年03月26日 ᴿᴱᴰ副将軍
今川氏、武田氏、徳川氏が争った北遠の要衝⚔️
オススメ度 ★★★★⭐︎
行基が密教修験の地として開創した山岳寺院の光明寺が始まりであり、享禄年間(1528年〜1532年)に朝比奈時茂により改修されたと云われます。
朝比奈時茂は今川氏重臣であり、今川氏輝の命により改築したとされます。
寺院はこの際に現在の光明寺の場所に移転させられました。
標高489mとかなり高所ではありますが、城内に秋葉街道が通る交通の要衝でありました。
桶狭間の戦いで今川義元が討たれると今川氏は没落の一途を辿り、元亀年間(1570年〜1573年)には武田氏の属城となっていたとされ、城主の朝比奈又太郎は犬居城の天野景貫と戦ったとされます。
1575年、徳川家康は本多忠勝と榊原康政に光明城攻略を命じ、光明城は落城。
その後、二俣城の大久保忠世に預けられ、その家臣が守備したとされます。
1582年に武田氏が滅亡すると役目を終えて廃城になった様です。
見所
標高539mの光明山に築かれており、秋葉街道を城内に取り込んだ交通の要衝です。
「光明寺遺跡」として大規模な石垣群が残りますが、これは江戸時代初期に光明寺が再び山上の光明城跡に寺院を建立したものであり、城郭遺構として残るのは北東部の中曲輪や東曲輪に限られ、東曲輪の端部には堀切があり、討死した徳川氏の旗頭5名の五人塚があります。
昭和6年に山火事が発生し光明寺は焼失。再び元の二俣の山東地区へと移されました。









