経塚
経塚([小山城 寺社・史跡])
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経塚の口コミ情報
2021年10月13日 国府参議城介
【歴史】
元々は古墳時代の横穴式石室の円墳であったようだが、経文を刻んだ石が出土したことから経塚と呼ばれるようになった。
文明7年(1475)に朝倉孝景による大野郡の平定戦が始まり、斯波氏における大野郡司を務めていた二宮将監(安兼)と戦になりました。同年4月に越前守護の斯波義敏が土橋城(亥山城)に入城したため、将軍家から義敏の保護を求めれれていた朝倉孝景も力攻めすることはできなかった。そのため、同年7月23日に、二宮将監らを、井野部郷(大野市市街地北部?)に誘い出し、二宮将監とその弟駿河守(種数)ら150人を討ち取った。ただし、二宮将監はここで戦死せずに、西勝原にある将監城で再戦し、そこで敗死したとも伝わる。
この戦いで出た戦死者の菩提を弔うため、石に経文を書いて経塚として、再使用したと言われている。
(説明版及び福井県史を参照)
【遺構】
小山城から北西400mほどにある、直径15m、高さ3mの小丘。
説明版あり。
【感想】
小山城から大野市内に向かって走ると、目立つ小丘があります。越前といえば朝倉氏のイメージが強いですが、小山城やこの経塚といったように、越前守護職の斯波氏の跡も残っています。また、越前大野城もこの場所から見えます。
【アクセス】
小山城から徒歩10分。
越前大野駅から自転車で20分。
【写真】
1:経塚
2:説明版
3:経塚から越前大野城を望む