西光寺丸城
西光寺丸城([木ノ芽峠城 周辺城郭])
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西光寺丸城の口コミ情報
2026年05月15日 ᴿᴱᴰ副将軍
横堀と土塁が多用された木ノ芽峠城塞群のひとつ🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。古来から近江と越前を結ぶ北陸道の要衝である木ノ芽峠城塞群のひとつ。
1573年に織田信長は朝倉氏を滅ぼすと、朝倉氏を裏切り織田信長に内通し越前案内役を務めた桂田長俊(前波吉継)が守護代として越前を任されましたが、1574年には越前の一向一揆衆がこれに反発して蜂起。桂田長俊は討ち取られます。一向一揆衆は木ノ芽峠城へも侵攻し、堀次郎の陣代であった樋口三郎兵衛は敗れて開城。
一向一揆衆は木ノ芽峠城には下間頼照が入りましたが、翌1575年には織田信長が再び越前に侵攻。
西光寺丸城には本覚寺・西光寺の門徒衆、鉢伏城に杉浦壱岐・専修寺・真宗寺・阿波賀三郎兄弟が入城していましたが、一向一揆衆は少数であり、逃亡者も相継いだため、稲葉一鉄・滝川一益により直ぐに落城したとされ、城将であった西光寺真教も討死したとされます。
その後、越前は柴田勝家に与えられ、越前と近江を結ぶ栃の木峠道を新たに整備したため、木ノ芽峠は重要性は薄れ、木ノ芽峠城砦群は廃城となりました。
見所
近江と越前を結ぶ木ノ芽峠を押される要衝として築かれた木ノ芽峠城砦群(西光寺丸城・木ノ芽峠城・観音丸城・鉢伏城)のひとつです。
西光寺丸城は、木ノ芽峠城砦群の中で最も東に位置する前線基地とされ、縄張りから最も技巧的で時代が新しく織田信長による改修と考えられています。
最高所の一の曲輪は周囲は土塁が巡り、南北に虎口が開口。
東側に二の曲輪を配し、外側に横堀を巡ります。南側には馬出曲輪が配され、南に土橋が架かる横堀が巡ります。
土塁や横堀が多用された縄張りですが端部はヤブに覆われているのが残念です。









