観音丸城
観音丸城([木ノ芽峠城 周辺城郭])
木ノ芽峠城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「観音丸城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
観音丸城の口コミ情報
2026年05月18日 ᴿᴱᴰ副将軍
木ノ芽峠を押さえるために木ノ芽峠城の対面に築かれた城塞🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。古来から近江と越前を結ぶ北陸道の要衝である木ノ芽峠城塞群のひとつ。
1573年に織田信長は朝倉氏を滅ぼすと、朝倉氏を裏切り織田信長に内通し越前案内役を務めた桂田長俊(前波吉継)が守護代として越前を任されましたが、1574年には越前の一向一揆衆がこれに反発して蜂起。桂田長俊は討ち取られます。一向一揆衆は木ノ芽峠城へも侵攻し、堀次郎の陣代であった樋口三郎兵衛は敗れて開城。
一向一揆衆は木ノ芽峠城には下間頼照が入りましたが、翌1575年には織田信長が再び越前に侵攻。
西光寺丸城には本覚寺・西光寺の門徒衆、鉢伏城に杉浦壱岐・専修寺・真宗寺・阿波賀三郎兄弟が入城したとされ、観音丸城には鉢伏城と共に専修寺・真宗寺の兵が守備したと云われています。
一向一揆衆は少数であり、逃亡者も相継いだため、稲葉一鉄・滝川一益により直ぐに落城。
その後、越前は柴田勝家に与えられ、越前と近江を結ぶ栃の木峠道を新たに整備したため、木ノ芽峠は重要性は薄れ、木ノ芽峠城砦群は廃城となりました。
見所
近江と越前を結ぶ木ノ芽峠を押される要衝として築かれた木ノ芽峠城砦群(西光寺丸城・木ノ芽峠城・観音丸城・鉢伏城)のひとつです。
観音丸城は木ノ芽峠を挟んだ木ノ芽峠城の西に位置し、木ノ芽峠城と連係して峠を監視していたとされます。
中央を二重の堀切で城域が二分されており、南東側の郭は土塁が周囲を巡り南と西に虎口が開口。北東に横堀、南西に帯郭が敷設し、周囲の斜面には堅堀が落ちています。
北西側の郭は尾根頂部を削平し、北西端は土橋が架かる堀切で遮断。土橋から北西に尾根道を進むと鉢伏城に至ります。
南東の郭内に十一面観音像が祀られていたことから観音寺丸城と呼ばれた様です。
案内板は朽ち、城跡碑は倒れ、ヤブ化が進んでいました。
2022年05月26日 しぇるふぁ加賀守
案内板は経年劣化のためか盤面だけ剥がれてました。城址碑は「観音寺丸城」となっていますが、間違い表記か別名称と思われます。町史跡登録名称は「観音丸城」と「寺」がない表記になっており、こちらが正式名称と思われます。現地は堀切が残っていました。









