大塩城
大塩城([谷小屋城 周辺城郭])
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大塩城の口コミ情報
2024年05月30日 RED副将軍
小規模ながら技巧的な縄張りの大塩氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。1465年に大塩吉信により築かれたと伝わりますが諸説あります。
大塩氏は、播磨国北脇城の大塩氏の一族とされ、若狭入部の経緯は不明ですが若狭守護である武田氏の家臣であったとされます。
大塩氏代々は長門守を称し、大塩城を居城とし、吉信、吉次、吉忠、助秀の四代が続いたと伝わります。
1562年、四代当主の大塩助秀は、湯岡城の南部久方と争うも敗れ、国吉城の粟屋越中守を頼って落ち延びましたが、大塩城は焼き払われたとされます。
見所
口田縄集落の背後に聳える標高134mの大光寺山に築かれています。
最高所にある南城と、北へ伸びる尾根の小ピークに築かれた北城で構成されています。
南城は、最高所に主郭を置き、北に二郭、東側面に帯郭が配されており、主郭と二郭は折れを伴う土塁囲みです。
二郭の北西部と主郭の東側に石列の伴う虎口が開口し、主郭の南背後の尾根は堀切で遮断しています。背後の堀切には3本の土橋が架かり障子堀状になっているのが特徴的ですが、後世の改変であるとの指摘があります。
北城は単郭であり、南端を高土塁と大堀切で遮断しています。
小規模ながら技巧的な縄張りであり、大塩氏のものではなく、その後にこの地を支配した越前朝倉氏により改修されたものと推測されています。
行き方は、大光寺を目標に設定。本堂南側の墓地を進むと整備された登城路があります。比高は約100mです。