賀羅岳城(ガラガラ城)
賀羅岳城(ガラガラ城)([新保山城 周辺城郭])
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賀羅岳城(ガラガラ城)の口コミ情報
2024年04月21日 RED副将軍
桝形虎口と竪堀、堀切が見応えある山県氏の拠点🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。天文年間(1532年〜1555年)に山県氏により築かれたと云われます。
山県氏は、一色氏に代わり若狭守護職に任ぜられた武田信賢に随行して若狭に入部し太良荘を領した山県信政が祖とされます。
若狭武田氏は内部抗争により家臣団が二分し弱体化したため、1568年に織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、山県秀政は織田信長に従います。
1570年、織田信長に反旗を翻した石山城の武藤友益と新保山城の武田信方らは山県孫三郎が籠もる賀羅岳城を攻め落としたと伝わります。
1573年に越前朝倉氏が滅亡し織田領となった若狭には丹羽長秀が入部。山県氏は丹羽長秀に属し若狭衆として活躍しました。
見所
標高297mの賀羅岳に築かれています。
南北に伸びた尾根上に北側の主郭と南側の二郭で構成され、主郭と二郭の間は石積みを用いた桝形虎口で区切られています。
主郭は北端に石積みで補強された土塁があり、現状は沼地となっています。井戸からの湧水によるものかと想像されます。山頂に豊かな水源があるのは籠城に適した山城であった様です。
北側の土塁背後は堀切により北尾根を遮断しています。
二郭は数段の段差があり、西側に武者走り、南側には高さ1mの一文字土塁が残ります。
城域南端は土橋を伴う堀切で南尾根を遮断されていますが薄めです。
二郭の南西下には巨大な竪堀が落ちています。
桝形虎口、南西の竪堀、主郭北側背後の堀切が見応えがありました。
行き方は、登城口は西側の太良荘と東側の本保の両方にある様です。
折角なので山県氏の菩提寺である長英寺に参拝し太良荘側から登りました。ちょうど長英寺の方がいらっしゃったので車を墓地前に置かせてもらい、登城口を聞きましたが分からないとのこと。
とりあえず谷筋を登っていきましたが、途中で尾根に取り付こうとするもかなりの急斜面を直登することとなりました。
帰りは尾根筋を下りましたが、それでも急斜面であり、どうやら長英寺から更に南側の谷筋から登るのが正しかった様です。
比高はたっぷりの約280mあります。
写真
①②主郭と二郭を隔てる桝形虎口
③主郭北側背後の堀切
④沼地状の主郭
⑤主郭北側の土塁は基部に石積みが残る
⑥段差がある二郭
⑦二郭南側の一文字土塁
⑧南西下の巨大な竪堀