陶片塚
陶片塚([弓庄城 寺社・史跡])
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陶片塚の口コミ情報
2025年04月27日 53_AIM
・越中瀬戸焼について
戦国時代末期に加賀前田氏が尾張の陶工を招聘し陶器生産を奨励した。当然瀬戸焼とよく似ていたことから江戸時代には「瀬戸、瀬戸物」と呼ばれていたが、明治頃からは「越中瀬戸」と呼ばれるようになったと考えられる。約30の窯が存在していたが、明治期になると陶器生産から瓦生産へ転向、徐々に廃業へと向かった。昭和に入ると複数の復興窯が築造され現在まで続く。
・陶片塚とは
別名かなくれ山、かなくれ塚、物原。製陶業において発生する失敗品や不要となった窯道具などを複数の窯元が共有して廃棄した集積地のこと。下瀬戸集落の共同墓地の一角に存在するこの陶片塚は高さ約2.3mの高まりをもち、遠目では高めの盛土のように思えるほど。
・注意事項
そもそも埋蔵文化財であるのに加え、町指定史跡になっているため、散乱する遺物の採取は控えましょう。夏に近づくにつれ草木により陶器片が覆われてしまうため訪問する季節にはお気をつけ下さい。
越中瀬戸や陶器生産に関わる知識が無い方は同町内にある展示施設「歴史交流ステーション日なた」を見学してからの訪問をオススメします。 散乱する器種としては匣鉢がほとんどですが、碗や皿、すり鉢、灯明皿、秉燭などの小破片も散乱しています。