倶利伽羅城
倶利伽羅城([一乗寺城 周辺城郭])
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倶利伽羅城の口コミ情報
2025年07月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
倶利伽羅城は一乗寺城の北北東約2.9km、現在の石川県と富山県の県境に跨る、両白山地から北方へと続く低山地帯を構成する一山、標高276.5mの国見山山頂部を中心に立地する砦の類いです。北麓の石川県道、富山県道286号、苅安安楽寺線からの比高は160m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車は同じく位置登録がある、南側の「倶利伽羅公園」の駐車場に捨てられる。ちなみに該地の国見山は、高野山真言宗の別格本山、倶利伽羅山不動寺の山頂本殿の境内に隣接している。
築城年代、築城者は不明です。てか、おいらは限り無く色物物件に近いと思っている。不勉強で申し訳無いけど、国見山の山頂部を城跡とする根拠は果たしてあるのかな。加賀の城館に踏み込むつもりは無いので御教授をお願いしたいところ…
立地としては倶利伽羅峠を直下に控える。国見山は、広義の砺波山を構成する山稜群の中では最も標高が高く、名称にもあるとおり展望は開けており、狼煙台や物見台としての適地である。倶利伽羅城が存在したと仮定するならば、番所的機能を併せ持つ物見台といったところであろうか。
難しいお城だ。国見山の山頂には河北郡津幡町の指定文化財、「倶利伽羅権現石殿」が鎮座し、南東隅には機能不全に陥った防火水槽が設置されている。城域も不明だが、広く見れば不動寺の和光塔を含んでもよいと思う。
腰郭様の地形も見られるが、後世の改変と見るべきであろうか。該地を中世の城跡とする確たる根拠は全く見出せない。但し、このお山に人数を入れれば、何らかの砦として成立してしまうのも事実、肯定も否定も出来ないてのが正直なところなんだろう。
倶利伽羅峠縦走ハイクの途中で国見山が城跡だと知り訪ねてみた。当日、お城のリア攻めは予定に含まれていなかったんだけど、最終的には3城を探索…やっぱし我慢が出来なかったなぁ…
現在は源平ラインて呼ばれる舗装道路によって誰でも簡単に峠を越える事が出来るが、新道自体は本来の山尾根を切り崩して造成されている。結果として現代に至るまでに重複区間をそれぞれに介しながら3筋の道筋が存在する北陸道だが、個人的に歩きたかったのが古代北陸道の道筋だ。
知らないてのは恐ろしいもので、古代の北陸道はそもそも論で極一部しか残っておらず、残された部分も道形が不明瞭、藪漕ぎが必須となっていた。同道の道筋は秒で諦めるのに十分な光景だったが、現在の富山県側では、山麓の長坂口から概ねで最短距離となる直線で高度を上げ、細尾根に近い山尾根上を倶利伽羅峠まで緩やかに登るものだったように思う。源平の戦いが繰り広げられた倶利伽羅峠の隘路とは、そうした中の正に山中の一点であった筈だ。
※舗装道路に惑わされてしまうけど、周囲の見通しが効かない夏場の縦走ハイクは結構怖いよ。おいらは行程の途中、富山県側の源氏ヶ峰城登城口付近で重量感のあるガサゴソ音を聞いた。シカ類だったら果てしなく逃げて行ってしまうところだけど、明らかに藪の中に身を潜めたそれは熊さんだった可能性が十分にある。おいら、後ろ向きでその場を静かに離れたんだけど、鉄製の階段で滑ってコケてしまい逆に騒がしかった…
※高野山真言宗の別格本山、倶利伽羅山不動寺〜参拝客が絶えない北陸の名刹だ。口コミすると果てしないので、同じ一乗寺城のリア攻めマップにスポット登録し写真だけ置いておく。
写真①が文中にある和光塔、ご覧のとおり歴史的な価値は殆ど無い。
※写真②が文中にある「倶利伽羅権現石殿」となる。加賀藩五代藩主、前田綱紀によって延寶五年(西暦1677年)に四社が建立された。ちなみにこちら側は背面っす。
※写真④は南側の倶利伽羅公園駐車場から撮影した近景っす。階段を登れば辿り着く。