飯島城
飯島城([飯島陣屋 周辺城郭])
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飯島城の口コミ情報
2023年06月08日 ほりーないと
南信濃源氏 片切氏の支族飯島氏によって築城された飯島城。飯島町と中川村の境を流れる子生沢川の左岸に位置し、天竜川を東端として東西約800m、南北は最大400mに及ぶ巨大な城です。城のほぼ真ん中を南北に国道153号が貫いています。
○本城(写真①〜⑤)
国道153号線の西側に位置し、近くには飯島氏が創建に関わったと推定される西岸寺があります。カギ形の大きな堀、土塁が残っています。
○前の田、古城(写真⑥〜⑦)
国道153号線の東側に位置します。飯島氏の初期の城地と考えられています。
○飯島氏について
飯島陣屋の受付の方から飯島氏のことをお聞きしました。戦国時代に飯島氏は武田氏の配下となりました。織田氏の伊那侵攻により飯島城は落城します。その後、第一次上田合戦や大阪の陣に徳川方として参加しました。飯島城は飯田城主の京極氏により分配されてしまったそうです。江戸時代、彦根藩2代藩主 井伊直孝の長男 直滋の守役となりました。その後、故地に戻って農民の身分となり、飯島代官所支配石曽根村名主役を勤めました。
子孫の方は現在も飯島町に住んでいます。飯島家の資料群6,435点は長野県立歴史館に寄贈されています。
2021年08月26日 ほりーないと
清和源氏片切氏の氏族飯島氏によって築城された飯島城。築城年代は不明ですが、近くでは南北朝時代の遺跡が発掘されています。戦国時代は武田氏の配下となり、織田氏の伊那侵攻により落城しました。
創建に飯島氏が関わったと推定される「西岸寺」を目指します。西岸寺の駐車場に停めさせていただき、水田の中を歩くと本城に到着します。
さて、口コミさせていただきたいのは、400年以上の時を経ても繋がる飯島氏のエピソードです。
飯島城がある長野県上伊那郡飯島町では藁(わら)細工職人が作った米俵を担いで走る「米俵マラソン」が開催されています。その米俵が大相撲関係者の目に止まり、飯島町の職人が大相撲の土俵だわらを作る事になりました。
大相撲の土俵に使う藁は特別です。在来種の稲を求めて関東方面の米農家さんを訪ねたそうです。その米農家さんは戦国時代に関東へ逃れた飯島氏の子孫だと伝え聞いている方でした。譲り受けた稲を育てる水田を探し、持ち主の方に「飯島城はどこにあるのですか?」と聞いたそうです。答えは「この水田が飯島城です」
写真
①本城の土塁
②本城の空堀
③看板その1
④看板その2
⑤西岸寺
⑥西岸寺参道
⑦飯島城の水田