南割の城屋敷

南割の城屋敷([赤須城  周辺城郭])

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南割の城屋敷の口コミ情報

2025年06月09日 内記かずりヾ(・ε・。)


南割の城屋敷は赤須城の西方約4.3km、上穂沢川南岸(右岸)、深沢川北岸(左岸)、標高約730mの段丘台地緩斜面上平場に立地した屋敷です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南東側の「社の旧家hana」を目標に設定して下さい。この民泊施設から駒ヶ根市道南割中田切線を挟んだ北西側斜向かいの一般住宅とその敷地が該地である。

この一般住宅は「城屋敷」の屋号を持ち、信濃のお城の神の聞き込みによると、家主の先祖ははっきりしないが武田氏の流れと伝わり、時期不明なるも当地で帰農したんだそう。又、家紋は三ツ頭とも。ちなみに該地を中世の屋敷跡とする確たる根拠は屋号以外に無く、「城」と屋敷の前に付く以上、居館城の類いであった可能性も残す。

築かれた年代、お住まいに成られていた方は不明です。史料、伝承等も無いらしいが、該地の南割は中世には上穂郷に含まれていた事から元は上穂氏に関係する城館であったと推測してもよい筈だ。同氏については同じ赤須城のリア攻めマップにある上穂城を参照して下さい。

居館の現況は…前述のとおり完全無血の一般住宅とその敷地となっている。写真を見て頂けたら判るように東面には後世に立派な石垣が造成され周囲よりも一段高くなっている。又、周辺地形は土地の改良事業によって段の付いた田地に変貌しているが、西辺は整理される事無く折れを伴っており、この辺りが旧屋敷の片鱗を覗かせているようだと信濃のお城の神は仰っている。ちなみに屋敷地に併設された墓所の墓誌によれば、享保十五年(西暦1730年)の墓石があるんだそう。

上穂氏は、大田切川、上穂沢川、如来寺川、鼠川、深沢川等の、木曽山脈から流れ出る自然流水の恩恵を受ける地域を発展させた開発領主、赤須氏と共に駒ヶ根市の原型を築き上げたと言っても過言ではない。現在の同市の中心部、赤穂地区は、明治八年(西暦1875年)一月二十三日、筑摩県伊那郡赤須村と同上穂村が合併して発足した旧赤穂村の名残りである。城めぐ的に言えば、アプリの登録城、赤須城の存在により赤須氏は報われているような気もするが上穂氏については全くの不遇だ。かずぽんとっても悲しい…

※赤穂〜「あかほ」と読ませる。ちなみに上穂は「うわぶ」と読ませる。

※何気に4回目の訪問wおいらはこの屋敷地が持つ佇まいが大好き。

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