南割の古城
南割の古城([赤須城 周辺城郭])
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南割の古城の口コミ情報
2025年06月07日 内記かずりヾ(・ε・。)
南割の古城は赤須城の西南西約3.5km、如来寺川北岸(左岸)、深沢川南岸(右岸)、標高約693mの段丘台地緩斜面上平場に立地した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている北東側の「TotalRepairバントヴェルカー」を目標に設定して下さい。このガレージメーカーから駒ヶ根市道南割福岡線を挟んだ南西側側斜向かいの一般住宅とその敷地が該地である。
この一般住宅は「古城」、市道を挟んだ南東側斜向かいの一般住宅は「城下」の屋号を持ち、「古城」の南側には「屋敷添」の小名が残る。特に遺跡、埋蔵文化財としての把握も為されていない事から、屋号から存在が確認された城館て事になる筈だ。
築かれた年代、お住まいに成られていた方は不明です。史料、伝承等も無いらしいが、該地の南割は中世には伊那郡上穂郷に含まれていた事から上穂氏に関係する城館であったと推測して間違いは無いだろう。同氏については同じ赤須城のリア攻めマップにある上穂城を参照して下さい。
居館の現況は…前述のとおり完全無血の一般住宅とその敷地となっている。東側を南北に通る市道よりも一段高く、信濃のお城の神が言うように纏まりが良い。城郭遺構は消滅していると思われるが、市道に沿う空地は堀跡の名残りと考えてもよいかと思う。ちなみに石垣は当然、後世のもの。
南割の古城の北側の一区画には、近世陣屋も真っ青な野面積みの石垣を持つ、長野県宝、小町谷家住宅が建っている。小町谷家は、伊那郡山本等、五千石を知行した旗本、近藤家の代官を務め、同郡上穂村内の散在地を差配していた。小町谷家は中世以来からの系譜を持つ家柄なのだそうで、かつての在地土豪層の一氏が近世に入り代官として取り立てられたて事になる筈だ。住宅は往時の威容が敷地内に殆ど完存しており見応え十分、近世の事は門外漢としたいので口コミはしないが、同じ赤須城のリア攻めマップに史跡としてスポット登録だけしておく。
※小町谷家住宅〜こちらは「羽場(一段高い所の意である。)」の屋号を持つ。ちなみに駒ヶ根市には「小町屋」の小字があり、JR飯田線の駅名の一つでもある。
※写真②、手前に見えるのが「屋敷添」の小名を持つ畑地、長野県ではよく見られる地名だ。東西約20m×南北約10m程度の土地に小名を付ける先人をリスペクト…
※写真③、奥に見える一般住宅が「城下」の屋号を持つ。ここでは「じょうか」ではなく、「じょうした」であろう。即ち、居館地の敷地外だ。