唐沢城(新井之城・鬼ヶ城)
唐沢城(新井之城・鬼ヶ城)([赤須城 周辺城郭])
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唐沢城(新井之城・鬼ヶ城)の口コミ情報
2025年10月28日 内記かすりヾ(・ε・。)
唐沢城(新井之城・鬼ヶ城)は赤須城の南南西約4.9km、郷沢川南岸(右岸)、天竜川西岸(右岸)、両川の合流点へ向かって張り出す、標高約589mの河岸段丘台地上平場を中心に立地する要害です。東麓の天竜川からの比高は55m位でしょか。但し、謂わゆる崖端城でもあるため連続する台地上からの比高はむしろマイナスである。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。一応、該地まで車が入るが、進む道は行き止まりとなる農道なので車の捨て場所はかなり手前になる筈だ。
該地の上伊那郡飯島町鳥居原は、中世の伊那郡飯島郷に含まれる地域であり、鳥居原はこれを構成していた一村、石曽根の内であったと推測する。明治時代の初頭、唐沢城の南側には「日曽利渡」と呼ばれる天竜川を渡る私渡があり、渡船一艘が運航していたんだそう。
築城年代は不明、築城者は唐沢氏と伝わっているが同氏の出自等は全くの不明だ。
天文三年(西暦1534年)、上杉定実の臣、伊那郡箕輪郷中条に拠った唐沢隼人助昌綱の子、義景が同郡飯島郷新井の地に居館したのが唐沢城の発生と伝わる。同名は飯島十騎に数えられたとも伝わるが、関東管領の臣がどのような経緯を以て伊那郡箕輪郷に来住したのかは大いに疑問とするところだ。又、唐沢氏は、弘治二年(西暦1556年)、武田氏によって滅亡したとされているが、同年中には上伊那の地侍、八人が武田氏に叛いており、唐沢氏の滅亡はこれと時を同じくしていたように思われる。
その後は、武田氏の被官、小泉五郎左衛門宗昌が飯島郷石曽根(新井を含む。)等、三百貫を宛行われ唐沢城の城主となり、その子、新左衛門は在名を取って石曽根氏を称したとも。父子は後の天正十年(西暦1582年)二月、高遠城に籠城し討死したと伝わっている。但し、小泉氏が居館した場所は、現在の上伊那郡飯島町中町の飯島陣屋跡とも云われており、両名による唐沢城の利用があったのかは実際のところは不明だ。
縄張は4郭で構成され、申し訳程度の複数の小郭が腰郭として斜面上に造成されている。連続する台地上を堀切で断ち切り、更に各郭間も堀で区画、天竜川に落ち込む東側斜面には六段の段郭が設けられ、これには片側で竪土塁が並走していたりもする(写真は難しいので勘弁…)。現在、台地上の郭群は全て田地と化しているのだが、城跡を想像するに足る形状が十分に保たれており好感度が極めて高い。城郭遺構としては数箇所に堀形、畦に変貌しているとはいえ主郭をぐるりと囲む土塁が健在だ。ちなみに完全な私有地ではあるのだが、城域内には城跡碑が建ち、説明板が立っている。
…お城を目指して一本道の農道を歩いていると、城跡の水田で作業中の所有者の方をお見掛けした。探索を諦めようかなと思ったんだけど、人懐っこい満面の笑みでこちらに近付いて来て、「ひょとして唐沢城を見に来てくれたのかい?」とのお尋ね、緊張が一気に和らいだ。話す事、1時間余り、自らの所有する田地が戦国時代の城跡である事を誇りだとも仰っていた。主人の帰り際には、「今日の作業は終わりだけど、遠い所からわざわざ来てくれたんだから好きなだけ見てってくれ、刈り入れは終わってるんで好きなようにしてくれたらいいよ。」とのお言葉を頂く…過去の経験から、どちらかと言えば邪険にされる事が多いような気もするんだけど、地元の人達と一瞬で打ち解けられる、城好き、歴史好き(変態とも言う。)で本当に良かったなと思える時間だった。ありがとう。
※昭和五十年(西暦1975年)、圃場整備事業に伴う部分発掘調査が行われている。結果として、重複箇所を含みながらも総計で6棟の掘立柱建物跡が検出され、唐沢城が居館城的性格を併せ持つ要害であった点が指摘されている。ちなみに出土遺物から該地のアクティブな時期は室町時代の中後期であったと推測されている。
※小泉五郎左衛門宗昌〜天正三年(西暦1575年)乙亥十二月十六日の武田勝頼條目案から、小県郡に小泉総三郎(昌宗)があった事が判るが、宗昌と同一人物であろうか。宗昌が宛行われた飯島郷石曽根は本貫地ではない可能性があるし、或いは小県郡の小泉氏の一族が別に新恩として同地を知行したとも考えられる。
※飯島陣屋跡〜覚えてるでしょか…少し前まではアプリの登録城でした…冬場に訪ねると、飯島町歴史資料館の職員の方が囲炉裏に火を入れてくれる。火箸で灰を掻き回して遊んでいると時間が経つのも忘れるぜ。ついでに「飯島町誌」でも買うがいいさ。
※写真⑧は長野県道18号、伊那生田飯田線上、天竜川に架かる天王橋から撮影した近景っす。写真向かって左側のこんもりが唐沢城、対岸から見れば相当な要害地形だ。









