古屋敷館(風呂屋敷)

古屋敷館(風呂屋敷)([内堀館  周辺城郭])

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古屋敷館(風呂屋敷)の口コミ情報

2024年08月18日 内記かずりヾ(・ε・。)


古屋敷館(風呂屋敷)は内堀館の北方約1.2km、千曲川西岸(左岸)、標高約356mの河岸段丘台地東縁部緩斜面上平場に立地した居館です。地図上で見れば千曲川沿いになるが、居館地の東側は崖地、川床からの比高は35m位である。

行き方はGoogleマップに「古屋敷」の名称で位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。該地は国道117号沿いでもある。

築かれた年代、お住まいになられていた方は不明です。該地の現在の住所は中野市上今井、付近には「城下」の小字を残すが、この地名は、西方山中に立地する同じ内堀館のリア攻めマップにある今井北城(北信の良城っす。)の東麓である事を示しているようだ。

従って単純にこの今井北城の根小屋とする説が唱えられているが、時代によって左右されるとも思うので確実なところだとは言えないだろう。個人的には居館地の存在は要害の発生よりも以前のものだと考える。

嘉暦四年(西暦1329年)三月、諏訪社上社の神事に勤仕する武士等の結番を定めた鎌倉幕府下知状案、八番五月會分の条には、「左頭、太田庄内赤治(沼)郷豊後大夫判官、小玉郷地頭等、付同庄内野村、上今井、」とあり、該地の上今井は太田庄に属する郷村であった。当時、太田庄を中心として勢力を拡大させていたのは島津氏であった事から、上今井も同氏の影響下にあったと考えてよいだろう。時代は下って、永正十年(西暦1513年)には高梨氏との対立が決定的となった島津氏だが、周辺地域は後に甲越が争った時期よりも遥かに緊張度が高かったと思われる。

居館の現況は一般住宅とその敷地、エノキ工場の跡等となっている。「長野県町村誌」に添付された絵図によれば、東辺を除く三辺を空堀に囲われた単郭の方形居館であり、居館地東側崖下、千曲川沿いには南北に古道(飯山道か。)が通っていた。現在は、西辺の堀が国道と化して埋め立てられているが、南辺と北辺には堀形様の窪地形が確認出来る。立地からすれば在地土豪層の居館跡て感じだろうか。

別称の「風呂屋敷」は銭湯みたいな感じだけど、たぶん「古屋敷(ふるやしき)」の転化なんだろう。又、里俗伝には、義仲四天王の一人、今井四郎兼平が居城とするものがあるんだけど、長野県に数多く残る「今井」の地名にかこつけた口碑に過ぎないので無視して構わない。

※写真⑧は該地から千曲川の対岸、中野陣屋のリア攻めマップにある安源寺城の方を撮影したもの。

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