二十塚旗塚群

二十塚旗塚群([割ヶ嶽城  周辺城郭])

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二十塚旗塚群の口コミ情報

2024年06月17日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、今回は安定の色物物件、旗塚の口コミっす。いつもだとふざけた内容に終わるか脱線するかの二択なんだけど、ある意味スペシャルな旗塚なんで今回ばかりは真面目なものにしたいと思う。

二十塚旗塚群は割ヶ嶽城の南方約2.7km、飯綱盆地の北西山塊、標高約718m地点の山稜北側緩斜面上平場を中心に立地する旗塚群です。北西麓の舟岳集落中心部からの比高は80m位でしょか。

行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。周辺に目標となるものがありまてん…車の捨て場所は何処にでも。位置さえ特定出来ていれば楽な物件、徒歩で進む距離はほんの僅かだ。

「旗塚」は読んで字の如く旗を立てるためだけの土盛りの事、支配領域の境目の目印、示威目的で使われるもの。役割としてはそれ以上でもそれ以下でもなく信濃でもレア物件の範疇に入る。

怪しいものが多いこの手の物件だけど、二十塚旗塚群は個人の日記や紀行文にも登場する古くから比較的に認知度の高い旗塚だ。延宝五年(西暦1677年)の「芋川村畑方検地帳」に「廿塚」とあるのが文書上の初見であり、この時代以前に旗塚が存在していた事は確実視される。日記に記したのは俳人の小林一茶、紀行文としては、明治時代に田山花袋が書き記した「北信の遊跡」に登場する。山中の旗塚がこれ等、行人の目に止まったのは、北国脇往還に通じる横道、川東道沿いにあった事に他ならない。

「長野県町村誌」には、「前の番所に接續し、舊北越街道の北側にあり、塚高 五尺、周圍六間餘、其數二十、一行にあり。塚間各々五間、此邊の字を中城と云ふ、往古合戦の時籏塚ならんか。 後人の正考を俟つ」とある。

「三水村誌」には、「二十塚 番所に接続して、本村でもっとも利用され、さらに利益をもたらした川東道の北端に旧舟岳村と界を接する直前の道路添いの東側一列状態になっている。その数は二一個、各一〇mの間隔で、周囲一五m。高さ一m半の規模で上に松が植えてあり樹齢も一定しない。一番老樹でも一五〇年ぐらいで枯死して、そのつど捕植したようである。もちろん松の木のないのもある。一番興味があり大事なことは由来であるが、地名の「京洛」、「御所」にまつわる貴族の墓、川中島合戦の武将の墓とかいろいろな説があるが、川中島合戦の旗塚が有力であろう。この辺の地名を中城といって、当然その名のとおり南方の鼻見城、北方の若宮城の中央にあり、その近辺には高いところがあり、信号を送るに差しつかえがあるので、削って低くし見易くしたところがあるのでそれが無難な見方であろう。発掘調査まではゆかないが、何人もの人が鉄棒とかで検査を試みたが何も見つかっていない」とある。

…「三水村誌」の記述は最も具体性を持って書かれているのだが、纏め切れておらず読み難い。塚の数も+1だ。但し、町村誌よりも一歩踏み込んだ内容であり、塚の存在には別の目的が推測される事も教えてくれる。

盛られた年代、盛った方は不明だが、伝承には上杉勢だとするものがある。他の目的としては経塚も疑われるが、道脇に修験行者が塚を築く姿が全く想像出来ない。あくまで個人的な推測に過ぎないが、川東道の道筋を山下へ知らせるための旗を立てる塚ではなかったろうか。

この塚群は平成三十年(西暦2018年)に発掘調査が行われている。中世の遺跡である事を前提に発掘が行われたようだが、出土品の一部はそれに疑問を呈する形となり、築造時期にあっては中世から江戸時代の初頭までが推測される範囲となった。塚は築造時期が同一であり、何層にも丁寧に土を盛っては突き固める方法で構築されている事が判明し、少なくともある程度の恒久的な「何か」を狙った事は間違い無いと思われる。又、出土品に人骨が含まれていない事から、村誌が言う、「貴族の墓」、「武将の墓」説も否定してよいと思われる。

町村誌、村誌は、「番所に接続して…」と言っているのだから、番所に付随するものだとも考えられる。番所が設けられたのは近世以降だろうから、築造をこの時期とする見方も有力だろう。但し、番所が既に機能しながら、塚をわざわざ築く必要が考え難いのも事実、むしろ旗塚が築かれていたような場所だからこそ番所が置かれていたと考えるのが自然だと思われる。何れにせよ塚の目的にあっては発掘調査でも解明するには至っていない。

…この旗塚について素人なりに物凄く真面目に語ってみた。但し、実物は一列に並んだ21基のただの土盛りであり、おいらは最初の8基に気付かず素通りしている。

※写真①は西麓から撮影した遠景、撮った本人もどの辺りなのか判らん。小林一茶は旗塚の位置から西方、柏原宿を遠望しているので当時の展望は開けていた筈だ。

※ 旗塚の撮影はとんでもなく難しい…

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