伝・県主居館(小野連館)
伝・県主居館(小野連館)([割ヶ嶽城 周辺城郭])
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伝・県主居館(小野連館)の口コミ情報
2024年05月27日 内記かずりヾ(・ε・。)
伝・県主居館(小野連館)は割ヶ嶽城の南南東約4.1km、斑尾川東岸(左岸)、標高約546mの山間平野部平場に立地したとの伝承が残る居館です。伝承てよりは伝説に近いかもしれない。
行き方はGoogleマップに位置登録されている南西側の「芋川防災センター」を目標に設定して下さい。車も捨てられる。此処から斑尾川を渡った北側の耕作地一帯が該地である。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは小野連です。「長野県町村誌」には、「村(芋川村)の中央北方東西十七間一尺二寸(約31m)南北十二間三尺(約22.5m)、耕地の中にあり、字小野と云ふ。此地今は神社なり。里俗口碑に往古小野連(おののむらじ)県主(あがたぬし)たりし時、此地に居住し邸地に健御名方富命(諏訪明神)を建立し崇敬す。後世社を小野神社と称す。按に県主に小野連と云ふ名、覚束なし、後考を俟つ。」とある…
…調べてみると、「県主」は古代ヤマト政権下の首長であり、「連」は「臣」と共に高位の豪族が所持した称号て事らしい。中世をすっ飛ばして古代にまで遡る居館跡になるので門外漢としたいんだけど、「信濃の山城と館8、水内・高井・補遺編」に掲載があるので仕方が無い。該地は後の芋河庄の枢地に当たる(現在の大字は「芋川中村」だ。)ので居館地等としたのは小野連だけとは限らない可能性もあるしね。
居館の現況は一面の耕作地、難し過ぎる…居館地に鎮座していたとされる小野神社の旧地すら平らげられてしまっている。かつて一帯は斑尾川の氾濫が好発する地域、土地の構造改革で地形、川筋、道筋も変わっており、敷地範囲すら不明、もはやリア攻めする術が無い。「この辺なのかな…」が関の山だ。
該地の一部は小野遺跡に含まれており、過去に発掘調査が行われている。結果報告書を見ていないので何とも言えないが、発掘のメインは縄文時代の遺跡らしく、居館に繋がる手掛かりは殆ど掴めないと思われる。但し、一帯からは約180個の柱穴が検出されており、規模の大きさから荘園政所跡とも推測される。
※謂わゆるどうする事も出来ない色物物件だ。「長野県町村誌」には居館敷地範囲が明確に記述されるが、たぶん小野神社の境内を指しているものと思われる。
※邸地にあったとされる小野神社の祭神は現在、芋川神社に合祀されているんだそう。
※写真①、水田の奥の辺りが小野神社旧地っす。
※写真③、向かって右端に写るのが斑尾川、芋河庄とは基本的に同川から引水して開田が進められた荘園である。
※見事なまでの田園風景写真、怪しまれて当然の異邦人、何やってるんすかね…