虚空蔵山砦
虚空蔵山砦([割ヶ嶽城 周辺城郭])
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虚空蔵山砦の口コミ情報
2024年05月10日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、おいらはよく色物物件て言葉を用いるんだけど、改めてこの場を借りてその定義を説明しよかなと思う。誤解されがちだが遺構の薄い物件を表したものでは決してない。
色物物件とは、存在自体が疑われるもの、位置が不明確なもの、地名によって導き出されたもの、伝承のみによって伝わるもの、もしくは新たに提起されたもの等の物件の事を言っている。総じて遺構は確認出来ないか不明瞭で、実際に現地に赴いてももやもや感が増すばかり…兎に角、城館跡としては非常に悩ましい物件の事を指している。
言ってみれば推測地、推定地、比定地の事であり、遺構が確認出来ない以上、リア攻めはどうしようもない結果に終わる。但し、信濃に限って言えばおいらは無視する事無く丁寧に訪ねている。なんだかんだで結構楽しんでるのさ。藪が酷くなる時期にはもってこいの物件でもあるしね。基本的にこれ等に淡い期待も抱いていないのでそれでもいいのさ。
虚空蔵山砦は割ヶ嶽城の南南東約5.3km、斑尾川東岸(左岸)、標高約600mの山稜山頂から南西へ伸びる尾根中段上、標高約563m地点の平場に立地する砦です。南麓の倉井神社からの比高は35m位でしょか。該当尾根は斑尾川の屈曲点へ向けて張り出し、南方へ流れる同川は山稜に沿って東方へ急に向きを変える。
行き方はびっくりする事にGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。尾根を登る町道が通っているので城域に車で横付け出来る。後は舗装道路の法面を登れそうな所から一段上がればよいだけだ。
築城年代、築城者は不明です。該地の東方には古道が通り、芋川の関門の地に当たる事から同地に拠った者とするのが正解なんだろう。「信濃の山城と館8、水内・高井・補遺編」に掲載がある。「飯綱町遺跡詳細分布調査報告書」にも記載があり、埋蔵文化財としての認識はあるようだが、「伝虚空蔵砦跡」とし、別に「伝倉井神社旧地」ともする。
倉井神社は「長野県町村誌」によると、「本村(倉井村)乾(北西)方字宮平山麓にあり、祭神健南方富彦神別命。里俗伝に往古社地は字宮平山の頂、虚空蔵砦地にあり、養和年間(西暦1181年〜1182年)山麓平地、今の神領地へ遷す。…」とある。町村誌の記述を信ずるならば、珍しい事に神社の跡地に砦が普請された事になる。
砦の現況は…南辺を欠くコの字形の土塁の残滓、人工の跡が確認出来る。が、砦のものてよりは倉井神社のものなんだろう、同様のものを同じ割ヶ嶽城のリア攻めマップにある薬師岳の薬師堂に見る事が出来る。又、小祠1基が鎮座するが中身は空で祭祀は途絶えて久しいようだ。ちなみに該地には旗塚の存在もあったそうだが、町道整備によって尾根自体が相当に削られて消滅したと思われる。全体的には砦てよりは狼煙台か物見台の印象だ。
Jr.アイドルの王道出世パターンを突き進むおいらは事務所から色物芸人との絡みを固く禁じられているんだけど、色物物件との絡みだけはどうしても諦める事が出来ない。誰かの馬の蹄石とか誰かが座った腰掛け石とか誰かが手植えした大木とか誰かが祈ったら湧き出た水場なんかよりは遥かにリアルな代物だ。色物上等、こりからも絡みまくるぜ。
※旗塚の存在〜飯綱町では「倉井の虚空蔵山にある十三塚」とする。立地と数から塚は旗塚ではない可能性が残る。
※写真見て頂けたら解ると思うけど特に頑張る必要が無い物件だ。おいらは旗塚探しで1時間弱彷徨ってたけど…
※写真①は要るのか知らんけど町道から撮影した近景っす。