蛇声天神山

蛇声天神山([割ヶ嶽城  周辺城郭])

割ヶ嶽城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「蛇声天神山」の地図・口コミがご覧頂けます。

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蛇声天神山の口コミ情報

2024年02月06日 内記かずりヾ(・ε・。)


蛇声天神山(じゃごえてんじんやま)は割ヶ嶽城の南東約2.6km、斑尾川西岸(右岸)に位置する標高702.6mの山稜です…東麓の長野県道60号、荒瀬原線からの比高は110m位でしょか。南麓には芋川集落と舟岳集落を東西に結ぶ林道が通る。この物件、なんて言ったらよいのかよく解らないんすけど、このままだとただのお山の紹介になってしまう…とりまこれから説明するんで諦めずに付いて来て下さいまし。

「信濃の山城と館8、水内・高井・補遺編」に掲載がある。信濃のお城の神の著述によると、「…天神山は、若宮城と鼻見城の間にあり、この二城が見通せるように天神山へ堀割りを入れたという伝承があるという。」て事になる。

但し、城砦の類いだとは一言も言っていない。ただの山稜に物見のために堀を掘っただけて事になる。でもねぇ…信濃の全城館制覇を生涯お城目標に掲げるおいらにとっては無視も出来ない物件ではある。神も調査に入った事だし、全然乗り気じゃなかったけど頑張る事にした。

行き方はびっくりする事にGoogleマップに「蛇声天神山砦跡」の名称で位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。取り付きは前述の県道からだが、適当な場所から適当な尾根を選んで適当に見当を付けて適当に登る。おいらも今となっては何処から登ったのかを説明出来ない。道は付いてるような感じがするけど、現況は獣道に等しいと思う。

誰が堀を掘ったのかは知らんけど、該地を知行地としたのは在地土豪の芋川氏なんでそうだと言えるんだろう。但し、応永十一年(西暦1404年)、幕府の御料所となった信濃国に代官として下向した細川兵庫助慈忠は高梨左馬助朝秀と戦い「下芋河之要害」を落城させている事が文書から明らかである。下芋河の要害は同じ割ヶ嶽城のリア攻めマップにある、鼻見城、若宮城の何れかが比定され、想像すればこの際に幕府方の物見場として掘られたものとする事も可能だろう。

蛇声天神山の山頂には三角点が置かれるのみだが、その南東側の小ピークとの中間点、尾根稜線上には確かに堀切が1条確認出来る。南側斜面には竪堀としての落とし込みもあり、埋もれ気味とはいえ立派なものだ。但し、他に城郭遺構は一切見当たらず、東西になだらかな尾根筋は砦として見るには頼り無さ過ぎ、大体にして鼻見城と若宮城を覗くなら山頂部のみで事足りるような気がする。ポジティブに考えるなら、比高の低い若宮城の狼煙場か物見場とした方がよっぽどリアルだと思うけど、そもそも論で伝承にある、両城を一度に覗ける堀割りの意味が現地でも不明だ。

…ネガティブな口コミに感じるでしょ、なんせ初出以外の情報が一切ヒットしない物件、おいらも最初はやる気が全く起きなかった。が、この地山には確かに堀切が1条残っている…「何でこんな場所に?何か意味あるの?何を考えて?」…その突拍子も無い佇まいに萌えまくり、別の意味で感動した。

※ジモティーによると「蛇声」は崩落地を、「天神山」は雷の落ち易い山を意味するらしい…本当なんか…

※下山は来た道筋を見事に間違えたので適当に南麓へ下りた。付近に社殿は見当たらなかったが、びっくりする事に山際には鳥居が建っていた(写真⑧)。お山自体が何らかの信仰の対象なのかもしれない。

※写真①は南東麓、御所之入集落付近から撮影した遠景、何処が蛇声天神山の山頂なんだか撮った本人もさっぱり判らん…ちなみに「御所之入」の地名にぴんと来た方は同志だと思う。

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