若宮城

若宮城([割ヶ嶽城  周辺城郭])

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若宮城の口コミ情報

2024年02月10日 内記かずりヾ(・ε・。)


〜若宮城(芋川城・城山)攻城編〜

お城は一般的な北信の山城とは一線を画していて城域は尾根筋にだけ留まらない。拡張を繰り返したのか主郭部を中心に、「南小屋」、「北小屋」、「舟竹小屋(西方、舟岳集落との繋がりとも。)」、「西園寺屋敷」等の根小屋を内包し、外郭等でそれ等を取り囲む。

登城は主郭部までは容易だが、大手筋を外すと藪に塗れるので冬場以外での探索は諦める部分も多くなると思う。鑑賞に耐える時期も通年でごく僅か、チャンスが出来たら優先して訪ねよう。又、1日に複数城をリア攻めする方は、当日、最初のリア攻めである事を心掛けた方が無難、遺構を全て確認するにはどんな猛者でも最低3〜4時間は掛かる。ちなみにおいらは7時30分位から登り始めて下山は12時30分位、写真撮影に合計2時間を割いていたとしても相当な時間を要している。

登り始めたら既に城域内、正に若宮集落の裏山なのだが、主郭から派生する尾根筋は支尾根を含めて7方向に及ぶ。謂わゆる一文字書きが出来ないお城、城域内でアップダウンや行ったり来たりを繰り返す事になる。楽な総リア攻めの正解は無いに等しいが、大手筋を無視して縄張図における最も北側に位置する東尾根の遺構群を辿って主郭に入るのが最上だと思う。但し、東尾根は藪度が極めて高い部分なので夏場等だと侵入そのものを拒むかもしれない。

兎に角、遺構がよく残っている。耕作地となっている部分は元々が根小屋等の削平地を活用しているようなので改変は少ないと考える。各尾根筋には無数の小郭を段郭状に連ねる他、要所に堀切と竪堀を穿ち、谷側へ向けては所々に土塁が付く。急な斜面を除けば一山全てが人工と言っても過言では無い。

このお城、最大の見所は主郭北西側山側背後の三重堀切+竪堀にある。城域内最高所の主郭から凄まじい角度の切岸の落差を置いて穿たれ、主郭からこの三重堀切に下りるだけでも一苦労、今でもトラバースが必要だ。振り返って堀底から主郭を見上げれば誰でも笑うしかないだろう。高石垣を登れない絶望感と同じ感覚を味わえる。削って掘った奴等は本当の阿保だ。

城域内を移動する度に、「芋川〜、お前何やっちゃてくれてんだよ〜イカれてるぜ〜」等と呟く。次々と現れる遺構の連続には呆れるばかり。前述のとおり北信の山城としては珍しい縄張だけど、外郭に相当する東尾根と南西尾根の遺構群、根小屋部分を除けば本来の姿が見えてくるかもしれない。

主郭には「湊川神社逢拝所」の石碑、「楠祖社」が建つ。楠木色に染まりまくりだが、応永十一年(西暦1404年)、自害に及んだ芋川氏当主、長知の息女が楠木正成の孫に当たる正秀(殆ど系図上のみの人物である。)に嫁ぎ、後に芋川氏を再興したとする伝承がその云われ。事の真偽は不明だが、事実ならば「応永の乱」の際に繋がりでも出来たのであろうか。又、「長野県町村誌」には、「…但石壁等は永禄の頃、兵火に罹り皆焼石となれり。今に至り土をうがつ者、往々古城具を得る、又蔵屋敷跡より焼米を出す。…」とあり、蔵屋敷の位置は不明だが、若宮城が焼亡している事、かつて土留めの石積みが付いていた事も窺わせる。ここで言う「永禄の頃」の兵火を信ずるならば、少なくとも二度の落城を経験している可能性もある訳だ。

※探索は大変、城域内の移動はアドベンチャーになるので縄張図の用意は必須だ。

※城域内には墓所もある集落の裏山だが、積雪には熊さんの明瞭な足跡、真新しい痕跡が残されていた。油断無きように…おいらは油断しまくっていた。

※おいらが写真撮影に時間を要するのはコンデジ君だからw望遠機能を使っていないので全て体力勝負、人力で画角を決定している。1枚撮るだけでも結構大変なのさ。

2024年02月09日 内記かずりヾ(・ε・。)


〜若宮城(芋川城・城山)登城編〜

むしろ登城が楽ちんなお城なんだけど、信越国境の名城(あくまで個人的主観っす。)を1回の口コミで終わらすのも気が引ける。おいらの推し城でもあるしね。故に2回に分けて紹介したい。

若宮城(芋川城・城山)は割ヶ嶽城の南東約2.4km、斑尾川西岸(右岸)、標高約695mの城山山頂部を中心に立地する要害です。東麓の長野県道60号、荒瀬原線からの比高は90m位でしょか。信濃の山城としてはド派手な縄張を持っている事で知られる。

実は初めての訪問、理由は個人的なものなんすけど、大きな縄張を持つ山城を後回しにする傾向がおいらにはある。訪ねたら訪ねたで縄張図の全てを廻らないと気が済まないのでそれなりの覚悟が必要なのれす。又、部分的には結構な藪城でもあり、深雪地帯故に冬場の訪問にも限度がある(去年は見事に諦めた。)。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南東麓の「若宮城大手登城口」を目標に設定して下さい。登り始めたら直ぐに城域に入る。但し、民家の軒先をかすめて行くよな取り付きなので家人を見掛けたら一声掛けておこう、歓迎してくれる。又、周辺には空地が沢山あるとはいえ意外にも車の捨て場所に困ったりする。リア攻め時間を要するので近在の方の許可を得た方が安心だ。

城山の比高は低いが複雑に山尾根が四方八方に展開する。縄張は一山全てに及ぶので探索は苦労するだろう。「長野県町村誌」によると、飯山藩初代藩主、松平遠江守忠倶の治世には城山で既に耕作が始められ、現在も城域内の一部は耕作地である。但し、元々が根小屋の様な部分なので気にならない。

築城年代は不明、築城者は芋川氏とされる。芋川氏は謎が多い一族で、文書上の初見は、永禄十二年(西暦1569年)二月廿四日、芋河右衛門尉(親正)宛、武田信玄書状であり、武田氏被官時代が最初である。芋川氏の事跡については長くなるので別の機会に譲るが、それ以前の同氏は島津氏、高梨氏等、近隣の有力国人領主に従う事で命脈を保っていたものと推測される。芋川氏が信越国境の有力国人領主へと成長を遂げるのは永禄年間(西暦1558年〜1570年)中の事であり、それ以前の文書が探し出せない事は少なくとも対外的には必要の無い立場にあったものとも解釈出来る。飛躍を可能としたのは武田氏による北信濃経略によるものであり、同時に島津氏、高梨氏等の影響下から脱した事を意味する。

応永十一年(西暦1404年)十二月、幕府の御料所となった信濃国に代官として下向した細川慈忠に従った市河氏貞は、自らの功を書き上げて注進し、慈忠から証判、「市河氏貞軍忠状」を得ている。長くなるので割愛するが、その中に、「…并同十一年九月高梨左馬助依背上意、為御退治、大将細河兵庫助殿奥郡御発向時、桐原、若槻、下芋河之要害責落、加佐、蓮至東条御陣、抽軍忠状、上方御見知上者、給御証判為備後代亀鏡、恐惶言上如件、」とあり、「下芋河之要害」が落城している事が判る。要害は鼻見城、若宮城の何れかが比定され、「芋川氏累世譜録」によれば、高梨氏に従った当主、芋川長知は自害に及び、一族は一時断絶する憂き目にあったらしい。

武田氏滅亡後には北信濃を差配する森長可に出仕せず、天正十年(西暦1582年)四月五日、上杉氏に同心して一揆に及ぶが凄惨な結果に終わる。又、信長横死後、天正十年七月九日、芋川越前守(親正)、同縫殿頭、西方(片)次郎右衛門尉(房家)、平林蔵人(正恒)宛、上杉景勝書状案には、「福島掃部助帰路、其元仕置堅固之由肝要ニ候、併普請一向無之由申候、兼日之儀ハ不入、当分手前之儀ニ候条、無嫌夜日普請可申付候、五三日中ニ可遣検使候条、不可有油断候、謹言、」とあり、上杉景勝は、福島掃部助の報告を受けて、普請が一向に進まない宛人等の要害を昼夜分かたず堅固にするよう励まし、数日の後には検使を遣わすので油断無きように求めている。後にはアプリの登録城、牧之島城城代となる親正だが、時期的にはそれ以前の書状と推測され、要害の名は書かれないが若宮城の事を言っている可能性が十分にある。

その発生は南北朝時代の後期にまで遡る事も可能だが、地勢的に国境の要害として戦国時代にも普請が続けられた事は間違い無いだろう。若宮城にも大勢力による改修説が常に付き纏うが、少なくとも景勝はこれ等要害の普請に関しては当人任せであり、検使を遣わして進捗状況や普請の結果の報告を受けるのみである。

2021年06月26日 赤かぶ【】


若宮城は別名 芋川城とも呼ばれており、芋川氏の本城とされているお城です。南方約2㌔の所には支城の鼻見城があります。

行き方としては国道18号牟礼駅入口の交差点から県道6号を北側に約4.7㌔走ると案内板と縄張図があります。そこから西へ約100m歩いて行くと遊歩道入口の看板がありますので、そこが登城口になります!民家と民家の間を通る感じです。
登ってすぐ位に西園寺堀という横堀があります♪
主郭に行くには堀のすぐ上の道を登って行きます。
急階段を上がると四の曲輪は二段になっていて、下段は西園寺屋敷跡です。
土塁・堀切・曲輪を繰り返し長い階段を登りきると主郭です!
主郭は楕円形で中ほどが一段高く石祠・社・石碑などがあります。
東尾根・北西尾根にそれぞれ堀切があるが主郭からかなりの急斜面を下る事になります!下手すると滑落する勢いですので、しっかりと装備して行って下さいね!
今回自分は準備不足という事もあり東尾根の堀切しか見に行きませんでしたが、かなりハードでした⤵︎

遊歩道とありましたが、この時期という事もあり草伸び放題、階段朽ちている所ありとあまり整備はされていない感じでしたので、しっかりとした装備でお願い致します☀︎

① 登城口
② 西園寺堀
③ 四の曲輪と三の曲輪の間の堀切
④ 主郭
⑤ 主郭東側の堀切1
⑥ 主郭東側の堀切2

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