古城山城

古城山城([霞城  周辺城郭])

霞城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「古城山城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

古城山城の口コミ情報

2025年03月13日 内記かずりヾ(・ε・。)


古城(古城山城)は霞城の西北西約1.0km、千曲川東岸(左岸)、標高1099.6mの奇妙山の前衛山塊を構成する一山、標高652mの山稜山頂から北西へ伸びる尾根下段上、標高544.2mのピークを中心に立地する要害です。北麓の国道403号からの比高は200m位でしょか。城山の山尾根は千曲川に向かって長く張り出し北西山麓にボトルネックを形成する。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。取り付きは北麓からとなり、車の捨て場所は少し歩くが、同じく位置登録がある北西麓の「町川田神社」がよい。ちなみに取り付く場所には石柱が建ち、説明板も立っている。両者はGoogleマップの3Dでも確認可能だ。

登城は大して苦労しない。城山は長野市立川田小学校の生徒達も年中行事で登る。しっかりとした登山道が付いており、所々には支点となるロープの設定もある。

城山は大室古墳群、北山支群に含まれ、登城中にも直径10m程度の盛土円墳等が散見される。知らずに一見すると城郭遺構と見違えるので注意が必要だ。

築城年代は不明、築城者は川田(河田)氏が推測されており、城主の一人には川田対馬守が挙げられる。同氏については史料も少なく書く事も多くはないのだが、同じ霞城のリア攻めマップにある川田氏館が別に存在するのでその口コミの機会にでも…

天文年間(西暦1532年〜1555年)に武田氏が築いた砦との伝承もあるが、これを正しいものとするならば、海津城築城の間において、既にあった川田氏の要害を改修し、アプリの登録城、尼厳城の前哨として人数を入れたものではないかと推測する。又、これも個人的推測に過ぎないのだが、むしろ甲越が争った時期よりもそれ以前、特に長享年間(西暦1487年〜1489年)、もしくはその前後に当たる時期に、保科氏を圧迫する村上氏等による改修があったのではないかとも考えている。もう、単純に武田っぽくないのだ…冷静に見てみなよ。どう考えたってそうだろう?

縄張図を見ると派手に9郭で構成されているが主郭を除けば殆ど小郭である。籠れる人数はせいぜい百人が限度だろう。登城路となる主郭からの北西尾根には4条の堀切、主郭南側山側背後には四重堀切が穿たれる。又、城域内には数条の竪堀が確認出来るが、総じて草っているか埋まり気味、鑑賞には厳しいものも多分に含んでいる。ちなみに人が入らない主郭からの北東尾根は藪、但し、末端部だけは意外にもすっきりとしている。

6年振りの再訪、前回訪問時は新緑の季節で城域を見通す事は殆ど不可能だった。ポテンシャルの高いお城だとは知っていたけど今回の訪問ではようやく納得のいくリア攻めが出来た。おいらはこのお城の持つムサイ感が大好き。あ、あり?ムサイ…知ってます?おいらも実物は相模湾で行われた国際観艦式でしか見た事が無いんだけど(艦名はキャメル、艦長はドレン大尉て人だった。)、ジオン公国軍が運用する宇宙軽巡洋艦のネームシップの事っすわ…お城を見るとあの艦橋から前方へ向かって続く同級の段々感をどうしても思い出してしまうんす。まぁ、信濃の山城なんて大概はそんなもんなんすけどね。

※大室古墳群〜約2.5㎢の範囲に、前方後円墳1基、積石塚、盛土墳等、約500基が密集している。一応、国の指定史跡だが、数が多過ぎるのか一部を除けばその扱いは極めてぞんざい、山中で管理もされずに風化しているものが殆どだ。中には民家の庭先で氷室として余生を送るものもある。

※川田氏館〜該地の周辺、上信越自動車道では「(仮称)若穂スマートIC」が建設中だが、工事区間中に土中から、鎌倉時代から室町時代のものと推測される更に別の中世居館跡が確認されている。但し、発掘調査が地下水の影響で難航しているらしく、スマートICの開通は実に4年の遅れが見込まれている。埋蔵文化財パワー、恐るべし…本体工事は着手すらされていない。ちなみに古城の四重堀切の地下直下には同自動車道の大室第二トンネルが貫通している。

※単純に武田っぽくない〜何だかアプリの登録城、屋代城の小ちゃい版て感じがする。

2023年03月19日 国府左京大夫城介


海津城の北の備えとして築かれた山城

【歴史】
天文年間(1532~1555)に武田氏が築いた。一説には、川田對馬守(村上氏の家臣であったが、武田氏に敗れた村上義清が上杉謙信を頼って越後に逃れた際には同行し、上杉氏の家臣となる)の居城とも伝わる。

【遺構】
霞城の東に約900mに位置する古城山(標高544.2m/比高196m)に築かれている。
主郭は長方形で土塁や虎口があり、南側には深さ7mほどの薬研堀を含めた四連続した堀切がある。また、主郭を中心に北西尾根、北東尾根にそれぞれ段曲輪を設置し、北西尾根には堀切が残る。尾根の北側斜面には複数の竪堀を設けている。

なお、北西尾根の先端には古墳(大室18号墳)も残っている。

【感想】
海津城(松代城)の北側にあり、霞城よりも標高が高く、主郭からは、越後方面を一望することができ、川中島の戦いでは海津城の北の備えとして役目を果たした城だと思われます。周辺の霞城や尼厳城のような石積みは使用していないので、拠点というよりは砦的な立ち位置だったのではないでしょうか。見所は主郭背後の大堀切で、見事な薬研堀となっています。

この城は地元の小学生が毎年登っているためが、整備も程よくなされており、斜面が厳しい箇所もかなり真新しいロープが張られていました。しかし、登城路である北西尾根は綺麗ですが、北東尾根は伐採した木が置かれており、通ることが出来ませんでした。なお、国土地理院の地図からだと、西の大室側にある「大室温泉まきばの湯」から城域に繋がる道が確認できるが、実際は立入禁止となっており、使用することはできません。

【アクセス】
長電バスの屋代須坂線(途中で松代駅を通過する路線)の川田駅から徒歩10分で登城口。

【写真】
①登城口
②説明板
③北西尾根の堀切
④主郭下の曲輪
⑤主郭
⑥主郭背後の大堀切
⑦四重堀切
⑧主郭からの越後方面を望む

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore