古城
古城([福島正則館 周辺城郭])
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古城の口コミ情報
2022年05月10日 内記かずりヾ(・ε・。)
古城は福島正則館の南西約2.4km、標高約982mの明覚山西方、標高759.1mのピークから西方へ延びる山塊尾根上、標高約677mのピークの一つに主郭が存します。北麓の須坂温泉からの比高は280m位でしょか。
行き方は複数ありますが、「坂田山・共生の森」でネットを検索するとルートマップを入手出来るのでそれ見て下さい。自分は同じ福島正則館のリア攻めマップにある雨引城から軽い気持ちで縦走しましたが、急登や鎖の岩場等もあるアップダウンを繰り返すのでやめときましょう、距離もあるし凄く面倒っす。折角灰野峠に車を捨てて雨引城の存する明覚山には楽に行けたものを、結果として明覚山→坂田山→大谷山→柏木平の峰→古城→大星の峰→和合峠→桃山→鎌田山て感じのフル縦走になってしまい、帰りにはタクシーを呼んで車を取りに行くはめに…約4kmの山歩きを楽しめる人は楽しめるんでしょう。
築城年代は不明ですが、築城者は須田氏です。須田氏初期の要害と推測されていますが、実際に現地を訪ねると疑問を感じます。むしろ分裂した大岩須田氏が武田方の須田惣領家を監視する目的で築かれた物見台の印象、もしくは二次利用、古城と称しながら存続期間は多く見積もっても天文二十四年(西暦1555年)から永禄二年(西暦1559年)までの僅かな期間のような気がします。古城東側山側背後、一段高い尾根筋の弛みは「のぞき」の地名が残りますが、此処から見える景色は須田惣領家の本城、須田城を中心に捉えています。
お城は完全単郭、主郭東側山側背後は二連続堀切、土橋様地形を経てフェードアウト、主郭西側正面には堀切が1条残ります。小粒ではありますがそれなりに…ただ信濃のお城の神が描いた縄張図における通称3郭を城域とするには少し無理があるように思いやす。
このお城、ネットで検索してもその名称故か全くヒットしないのですが、実際にもお城マニアからは敬遠されていると思います。苦労対効果が非常に悪い。縄張図は薄い上にたぶんどのルートから登っても面倒なのがその理由でしょう、当然単独目標としても成立し難い。須田氏関連の城館コンプリートを目指す方は是非、訪ねてみれば楽しめるとは思います。
※井上城のリア攻めマップに須田古城の名称で須田城がスポット登録されています。が、実際には須田の古城はこちらが正解です。須坂市の捉え方が問題…