雁田城小城
雁田城小城([福島正則館 周辺城郭])
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雁田城小城の口コミ情報
2024年09月22日 RED副将軍
小規模ながら階段状に続く石垣が見事な要害
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。在地土豪である狩田氏や荻野氏の城跡とされ、城主な名に苅田繁雅などが伝わります。
麓の岩松院はかつて荻野氏の居館であったと伝わり、雁田城は詰め城であったとも云われます。
戦国時代となると中野に勢力基盤を築いた高梨氏の勢力下となりました。
1561年に武田氏の侵攻により支配された様で、さらに武田氏が滅亡すると上杉氏による支配となりました。
見所
岩松院の北側に東から西へ伸びた標高390mの尾根先端に築かれており、標高533mの大城と小城からなります。
小規模な単郭ですが、東側は堀切、北西尾根側は二条の堀切で遮断され、主郭は高度な技術で積まれた石垣によって固められています。
現在に残る石垣は、在地土豪が築けるものではなく戦国末期の高度な技術であるため、北条氏と信濃の覇権を争った際に、上杉氏が改修したものと考えられています。
規模からすると物見・烽火台と利用されたと見られています。
行き方は、岩松院の山門北側から登城路が付いています。比高は約50mで10分で辿り着けます。
2021年05月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
雁田小城は福島正則館の北西約3.9km、標高786.6mの屠屋場山から西方へ延びる尾根上、標高約455mのピークの一つに主郭が存します。南西麓の岩松院からの比高は100m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている南西麓の岩松院を目標に設定して下さい。このお寺さんの裏手に滝ノ入城の一部とされる千僧坊と呼ばれるピークに至る登山道が付いており、雁田小城→雁田大城→滝ノ入城の順に縦走出来ます。雁田小城は登山道を少しだけ登れば到着します。たぶん5分位かな。
築城年代は不明ですが、築城者として在地土豪の苅田氏、萩野氏が推測されています。この地域に高梨氏の勢力が伸張すると雁田大城、滝ノ入城、二十端城と共に高梨氏支配領域の南端を守る城砦群の一つとして整備されていたようです。
お城は個人的に変態城に分類されています。細分化すると石積み系変態城で、小諸市の富士見城、長野市の霞城、千曲市の鷲尾城と同系列となっています。特にこのお城が変わっているのは、ほぼ正方形の主郭の西辺、南辺に段郭状に帯郭が付いている事で、その数は何れも4段、そしてその全てに石積みが施されている事(石積みは5段となる。)です。見たら誰でも「うっそ〜ん」とか呟く事でしょう。石積みは信濃のお城では決して珍しいものではありませんが、何て言うか余りにも整然(石段まで付いている。)とし過ぎているんです。後世の寺院か何かの改変かなとも思うんですが、そうなると何の役にも立たない帯郭を4段も造る必要が無いし、再訪してもやっぱし訳解らん困ったちゃんでした。
小笠原ブランドのお城、例えば林小城、桐原城、埴原城、山家城なんかに残る石積みは織豊系城郭の影響を受けた天正期以降の改修によるものと解説される事も多く、その考えが一部で今も踏襲(おいらもそうなのかと思ってたさ〜)されているように思えます。ただ石垣じゃないんだし、そこまで特別な技術が必要な訳でも無い。信濃では古くから古墳文化が根付き、石積みが多用されてきた土地柄(安坂古墳群、大室古墳群、針塚古墳、森将軍塚古墳等、立派な石積みが残る。)で、そんなに石積みを特別視しなくてもよいと思います。が、やっぱし此処の石積みにはどうしても疑問を感じるのさ〜雁田小城だけなら簡単に行けるし、写真を見て同じ様な疑問を持ちましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。