雨引城
雨引城([福島正則館 周辺城郭])
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雨引城の口コミ情報
2022年05月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
雨引城は福島正則館の南方約2.0km、標高958mの明覚山山頂部(このお山、山頂とは別に標高982mの最高点がある。)に主郭が存します。南麓の奈良川からの比高は430m位でしょか。
行き方は複数ありますが、最も簡単なのは東方の灰野峠まで林道を車で登りこの峠に立つ案内板からお城を目指すものです。林道の入口はGoogleマップに位置登録されている東南方、明覚山山塊中腹にある弁天さんのしだれ桜を目標に設定して下さい。このルートからだと徒歩で登る比高は130m位になります。ちなみに同じ福島正則館のリア攻めマップにある明覚山北東尾根に存する月生城、北西尾根に存する大岩城からも行けますが、猿山だし尾根筋は大変厳しいらしいのでやめときましょう。
築城年代は不明ですが、築城者は須田氏です。須田氏は戦国時代に生き残りを賭けたのか須田郷を本領とする惣領家と大岩郷を本領とする大岩須田氏に分裂します。前者は武田氏に、後者は上杉氏に随身しますが、伝領された地を保つという点においては結果的にどちらも失敗しました。お城自体は大岩須田氏の持分と考えられ、第二次川中島の戦いの際の和睦の条件の一つであった同氏の旧領復帰の僅かな期間にも機能していたと思われます。
お城は山頂から派生する東西に延びる急峻な尾根稜線上に築かれ(東西に長い縄張である。)、明覚山山塊山中を南北に抜ける東方の灰野峠道を監視下に置いています。要所を堀切で遮断、竪堀が目立たないのは急峻故でしょか。主郭は改変も含んでいるとは思いますが、主郭東側正面の愛らしい二重堀切のぷちぽこ感は幸せな気分にさせてくれるのに充分です。
灰野峠道は上杉勢が川中島の戦いの際に利用した通称謙信道と呼ばれる軍道でもありました。第三次川中島の戦いの際に大岩郷の北方、雁田山系山塊南東麓に位置する東条山田荘の領主、原左京亮は武田氏に通じ、大岩郷の大岩須田氏と上杉氏との連絡が不安定となります。上杉勢は左京亮の要害、山田城、更には須田惣領家が城代を勤める武田氏の拠点、福島城を屠り善光寺平の旭山城に本陣を置きますが、大岩須田氏を始めとする周辺の国人領主等に義理を果たしたとも言えるんでしょう。調略においては信玄に及ぶべくもない謙信ですが、利害関係の一致が当初からあったとはいえ北信の国人領主等に頼りにされたのも至極当然だったと思います。