夜交氏の墳墓(甲斐森)
夜交氏の墳墓(甲斐森)([高梨氏城館 寺社・史跡])
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夜交氏の墳墓(甲斐森)の口コミ情報
2025年05月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、おいらは生粋の五輪塔マニア、星になったら墓石は要らないんで五輪塔の下に葬ってほしいて常々思っている。いつの日にかそれはばらばらになるんだろうけど、少なくとも大切な「何か」として再び一纏めにされる事だろう。
夜交氏の墳墓(甲斐森)は高梨氏城館(中野小館)の北東約3.9km、笹川北岸(右岸)、標高約553mの段丘台地南縁部上平場に立地する墓所です。ちなみに下高井郡山ノ内町の指定史跡である。
行き方は…リア攻めマップを参照して下さいな。こんなんマップコード以外では上手く説明出来んわ…車は該地の北側、Googleマップに位置登録がある「横倉集会所」に捨てるのがよい。
「夜交」は「よませ」て読ませる。アダルティな雰囲気が漂よう姓だけど、おいらは数年前まで「やこう」て読んでいた。高井郡北笠原上條郷内夜交村の在名を取って称した氏族、中野小館に拠った中野氏の分流と伝わるので本姓は藤原姓だ。
夜交氏については居館跡が2箇所に存在するのでその際にでも。紆余曲折を経ながらも厳しい時代を乗り越え、最終的には米沢藩藩士として明治維新を迎えた一族、重大局面には同族が二分、悲劇を伴いながらも逞しく乱世を生き延びた同氏の処世には頭が下がる思いだ。どんな戦国出世譚よりも遥かに共感を覚える。
墓所は「甲斐森」とも呼ばれている訳だが、五輪塔、宝篋印塔の一部が、戦国時代初頭の当主、甲斐守高廣、甲斐守高國の物と伝わるからだ。
詳細は不明だが、墓所とはいえ該地から出土した残石の集積なのかな。夜交氏の物とする確証も無いらしいが、様式は完全に中世のものであり、それ以外には考え難いて事なんだろう。纏まって出土している点でも十分な裏付けにはなると思う。
居館跡を訪ねるよりもこちらの方が当日のメインだった。夜交氏の事跡を勉強してからその思いはより一層強くなった。物言わぬ墓塔の前で頭を垂れよう。
※「夜交」〜現在は地名に「夜間瀬」の文字が当てられており、長野電鉄長野線の駅名でもある。長野駅と湯田中駅を結ぶ3両編成の特急電車、通称、スノーモンキーは見事に通り過ぎる。
※東京都に在住の子孫の方は「世間瀬」と称している。
※夜交氏は、同じ高梨氏城館のリア攻めマップにある、夜交氏山城(大城・小城)を要害としていた。登城困難のためあまり知られていないがお気に入りの山城の一つ。インスタにはアップしている。