菅の館(堀之内)

菅の館(堀之内)([高梨氏城館  周辺城郭])

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菅の館(堀之内)の口コミ情報

2025年12月08日 内記かずりヾ(・ε・。)


菅の館(堀之内)は高梨氏城館(中野小館)の南東約3.1km、伊沢川東岸(右岸)、円生里川北岸(右岸)、標高約646mの山間部段丘台地緩斜面上平場に立地した居館です。

行き方はGoogleマップに遠州の城友さんが位置登録しているのでダイレクト設定して下さい。車はそこら辺に捨てられる。ちなみに該地は殆ど果樹園なので訪ねる時期に配慮しよう。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは高梨氏の一族、小島氏です。同氏については同じ高梨氏城館のリア攻めマップにある佐野堀之内館も併せて参照して下さい。ちなみに後述するが菅の館は騒乱の中で焼かれている。

「菅」は「須毛」であり、該地は高井郡須毛郷の内である。地図を見れば一目瞭然なのだが、高梨氏の本拠、中野小館から鴨ヶ嶽を挟んだ後背地に当たり、東方に控えるのは上野国吾妻郡と信濃国高井郡とを隔てる志賀高原だ。

該地とその周辺地域は平安時代には開発されていたようで、高井郡を構成していた五郷の一つ、日野郷に含まれる地域であったと推測されている。又、鎌倉時代初頭の左馬寮領、信濃二十八牧の一つ、金倉井牧の故地でもあった。

須毛郷には上郷と下之郷があり、本家の伊豆守景頼は上郷を知行、菅の館に居し、文明年間(西暦1469年〜1487年)、舎弟の左衛門尉景貞に下之郷を分知、景貞は佐野に居館したと伝わる。

「諏訪御符禮之古書」、寛正四年(西暦1463年)癸未御射山の条には、「一 上𡑭須毛小嶋高梨伊豆守景頼御符之禮五貫六百御教書同前使曾次二郎頭役二十貫」、文正二年(西暦1467年)丁亥五月會の条には、「一 加頭須毛小嶋左衛門尉景貞初當候両度御符禮五貫六百文使三郎御教書同前頭役二十貫文」、文明三年(西暦1471年)辛卯御射山明年御頭定の条には、「御射山加頭須毛小嶋御符禮五貫六百使孫六御教書禮先二貫文使曾次二郎小嶋二郎代官は飯澤家信又御教書禮曾次二郎三貫文持來候」、文明八年(西暦1476年)丙申明年御射山御頭定の条には、「一 加頭須毛小嶋高盛代官飯澤家信御符禮五貫六百六十六文使金五郎御教書禮同五貫五百代官飯澤左衛門尉家信頭役二拾貫」、文明十三年(西暦1481年)辛丑明年御射山御頭定事の条には、「一 加頭須毛小嶋兵庫助高盛代官飯澤信宗御符祝五貫六百六拾六文御教書禮同前頭役二十貫此年御教書祝二貫沙汰仕候飯澤儀にて候」、文明十八年(西暦1486年)丙午御射山明年御頭定の条には、「…前略、右頭須毛小嶋高盛御符禮五貫六百六十六文孫六請取候御教書祝五貫六百六十候今飯澤云者兎角横儀申様々二貫沙汰申候か又此間一貫五百進候飯澤神罰可為一定候御頭役二拾貫」とあり、小嶋高梨伊豆守景頼、小嶋左衛門尉景貞、小嶋兵庫助高盛の名が見られる他、代官に飯澤家信、飯澤信宗の名が見られる。ちなみにこの内の代官、信宗については、「…兎角横儀申様々二貫沙汰申候か又此間一貫五百進候飯澤神罰可為一定候…」とあり、上社側の使いの者と一悶着があった事が判り、神長は同名が神罰を蒙るだろうと言っている。今流行りのキックバックを要求したのであろうか。

居館の現況は…畑地、果樹園、耕作放棄地等となっている。東辺と北辺は緩やかな傾斜地となっているが、南辺は円生里川が侵食した崖地に面しており、不定形ながらも居館地としてある程度の纏まりを今も保っている。改変著しく旧態は見ないとはいえ、武士の住まう場所としては適地と言えるだろう。

永正十年(西暦1513年)七月には、本家の高盛が、近隣の夜交氏、中野牢人衆と謀り、宗家の高梨氏に叛いている。企ては高梨氏の被官、草間大炊助の機先を制した武略により失敗に終わり、館(菅の館)、内之町。諏訪社を焼き払われた上にその身は磔に処せられ晒された。

高梨氏の一族でありながら叛いた理由は不明だが、文明十六年(西暦1484年)五月、宗家の高梨刑部大輔政盛は、一門の高梨日向守高朝が高野山仏詣の留守中に、その居城、山田城を落城せしめ、同名が落ち延びる事件が発生している。政盛の行動は、惣領制からの脱却を押し図ろうとする重要な決起ともなった訳だが、同時に当時の同族間の不安定な結び付きをも露呈している。こうした動き等に隙が生じたのであろうか。小島高盛等が叛いた背景には、高梨氏の勢力拡大(当時は同氏の最盛期である。)を懸念する、島津氏や村上氏等による暗の後楯があったとも考えられる。

※写真⑧は居館地付近から撮影した同じ高梨氏城館のリア攻めマップにある菅の山城の遠景っす。拡大しないと判らないけど、写真向かって左側、鞍部を通るのが更科峠道だ。

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