間山館(石動の館)

間山館(石動の館)([高梨氏城館  周辺城郭])

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間山館(石動の館)の口コミ情報

2023年01月14日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

間山館(石動の館)は標高約394mの山間部台地緩斜面上平場に存したと推測される居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている「津島公会堂」を目標に設定して下さい。この公会堂の東側に鎮座する石動神社とその周辺が推測される該地です。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは高梨氏と推測されます。

永正七年(西暦1510年)、上杉定実を擁した越後守護代長尾為景は越後から退去する関東管領上杉顕定を追って越後長森原でこれと戦い為景は大勝する。長尾勢に合力した高梨政盛は顕定を討ち取る等功を立てるが、その際に凱旋した場所がこの石動の館とされる。即ち、「政盛の軍は牛頭天王の社前(石動神とも。)で戦捷を祝し、それから間山の館へ帰る。石動の構えなり。」との記録が残るのがこれだ。

政盛が中野氏を滅ぼし中野郷を掌握して中野小館を築いたのは永正十年(西暦1513年)頃と推測されており、それ以前は間山を本拠としていた可能性が高い。当時は高梨氏の最盛期で時代的変遷もあるが「諏訪御符礼之古書」には高梨本郷、高梨本郷橡原、高梨中村、須毛、犬飼、富武郷、小島郷、新保、江部、狩田、和田、安田、大熊等の各郷が高梨氏本領とその一門の所領として列挙される。

居館の現況は位置が特定出来ていないので何とも…信濃のお城の神は東南方、菅峠を背後に控える山塊中腹、中世に修験寺として栄えた天台宗の寺院、間沢山普門院建応寺の周辺だったかもしれないとも推測している。建応寺は七堂伽藍十二坊を数える大寺であったが川中島の戦いで悉く焼失、廃寺となる。跡地は中野市指定史跡(過去に発掘調査が行われている。)ではあるけど山中の原野に近い平場なので悪しからず…

高梨氏て全国的には無名だけど北信では村上氏に拮抗し得る有力な国人領主、越後守護代長尾氏と独立性を保ちながらも従属的同盟関係を構築してその勢力を拡大していく(逆に見れば高梨氏は信濃における長尾氏の外城勢力の一つである。)事に成功、一時期には越後国頸城郡の各所にも所領を得ており、その内には越後国衙領すら含まれていた。

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