鎌ヶ嶽城

鎌ヶ嶽城([高梨氏城館  周辺城郭])

高梨氏城館 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「鎌ヶ嶽城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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鎌ヶ嶽城の口コミ情報

2025年12月10日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、アプリの登録城、高梨氏城館を構成しているものは、高梨氏館(高梨城、高梨小館、中野小館)と鴨ヶ嶽城なんだけど、こりから紹介する鎌ヶ嶽城の方も忘れないでくれよな。鴨ヶ嶽城の一城別郭、別城一郭、どっちでも構わないんだけど、それこそ単品でリア攻めが成立してしまうような素敵な物件、探索が終われば、みんなもきっと村上氏より高梨氏を推すようになる筈…

鎌ヶ嶽城は高梨氏城館(中野小館)の東南東約1.2km、伊沢川西岸(左岸)、標高688.2mの鴨ヶ嶽山頂から南東へ伸びる尾根上段上、標高約660m地点の平場を中心に立地する要害です。西麓の長野県道54号、須坂中野線からの比高は285m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい…なんだけど、そのままじゃ行けないので鴨ヶ嶽山頂部を中心に立地する鴨ヶ嶽城の口コミを参照してから登ろう。同城を過ぎてそのまま尾根を下れば辿り着き、車の捨て場所もそこに書いてある。ちなみに登山道は鴨ヶ嶽林内歩道て称する遊歩道でもあり、トレッキングコースが設定されてもいるのだが、鴨ヶ嶽城を過ぎると整備が殆ど放棄されているに等しいので注意が必要、熊笹藪との戦いが待ち受けている。

築城年代は不明、築城者には高梨氏が推測されているが、その発生となると考慮が必要だと考える。ちなみにあくまでも個人的な印象に過ぎないが、鴨ヶ嶽城に付随する同氏の真の詰城ではないだろうか。

「長野県町村誌」には、「本村(更科村)の東更科山字鎌ヶ嶽(嶺鎌形なるを以て字す)の嶺上にあり東西二十五間(約45.5m)、南北四十間(約72.7m)、回字形をなし、東は本郡(高井郡)戸狩村に界し突立百尋の岩壁にして、萬卒も一歩を進可からず。北は鴨ヶ嶽(本郡中野町)に接す南西は高凡二丈(約6.1m)餘の石塁あり、今は莓苔に埋れ或は抜崩れて猶存するあり。外郭の西南隅より少しく降り、城中使用の古井(方四尺餘)あり、水質變換なく、淘々として湧出し、之を城ノ井と稱せり。渓路一條、今は北坂道と云ふ。其道本郡戸狩村と界する所より、嶺上を北し、長五町八間(約559.5m)にして古城址(鴨ヶ嶽城)に至る。近傍地を鑿つに、往々兵器を得るあり。(口繪参照)言傅に、年暦不詳、浦野氏某代なるか、之を築きしと見ゆ、鎌ヶ嶽城と稱し、数代本郡御館城(一に日野城中野町に址あり)主、高梨氏の幕下にして世襲す、浦野美作守宗胤あり、後浦野興五右衛門尉宗實之に居す。永禄二年(西暦1559年)己未三月、武田晴信高梨氏を攻陥す。尋て本城も陥る(宗實の事由は同氏墓の部に細記す)以降廃城となり、今民有に属す。」とある。高梨氏の幕下、浦野氏が築き、代々居住した事になる訳だが、同氏はあくまでも城番であったと考えるべきであろう。鎌ヶ嶽城の占地は高梨氏の要害、鴨ヶ嶽城無くしては成り立たない。

まず、城域が何処から始まるのかが判らない。鴨ヶ嶽城と尾根続きであり、両城を隔てる明確な基準点が存在しないように思う。町村誌の記述を鑑みれば回字形の単郭であったようなので、段郭を下りて来た辺りから始まる、山尾根上の一平坦地とその西辺下段に付く腰郭をそれと見るべきであろうか。従って北側への備えを鴨ヶ嶽城に一切を委ねていた事になる。

特に主郭は一面の熊笹藪に塗れてしまい輪郭すら不鮮明、アップした写真は積雪時のものだが、20〜30cmの積雪があった方が遥かにマシだ。石塁や土塁の造形が確認出来るようになる。見所は主郭南側谷側背後のアンビリーバボーな大堀切、幅員のある尾根の部分だが、長く、広く、深くばっさりと見事に断ち切っている。写真だけではその現況を伝える事は非常に難しいのだが、高所の山中にあるものとしては極めて異質、高梨氏の持つ実力をこれでもかと見せつけてくれる。今でも場所を選ばないと堀底に下りる事が非常に困難、貧乏な信濃の山城に慣れた方には眩し過ぎる程の遺構だと思う。

アプリだと高梨氏城館、中野陣屋、福島正則館に集約されてしまう千曲川の右岸地域だけど、周辺の山中には高梨氏等がシバキ倒した山城跡が数多く点在している。アプリの登録城を中心に考えてしまうと見え難いけど、それだけでは到底理解に及ばない当地の歴史が各所には沢山埋もれている訳だ。語り尽くされた中央の歴史から解き放たれよう。今や地方から中央を見るべきだ。その際には文献だけでは事足りない。己れの足だけが頼りになる事に気付く筈だ。踵を鳴らそう。

※石塁は残滓程度に考えよう。明確に詰まれて残っている部分はごく僅かだ。

※写真⑥、⑦、⑧は大堀切を撮影した物っす。時代が合わないけど、主郭縁上の石塁と相まって鉄砲運用を考慮したかのような逸品だ。

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