高梨氏館(関山国師伝承地)
高梨氏館(関山国師伝承地)([井上城 周辺城郭])
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高梨氏館(関山国師伝承地)の口コミ情報
2025年05月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、信濃のお城の神は色物物件も丁寧に自著に掲載してるんだけど、度を過ぎまくった色物物件の事をおいらは踏み絵物件と呼んでいる。はっきり言ってノーマルな方は訪ねる必要性が微塵も無い。が、信者は神の辿った軌跡を自らの事として追い求めたがるもんだ。たとえ不毛な結果に終わったとしても構わないのさ。そう、求道者の心持ちだ。
高梨氏館(関山国師伝承地)は井上城の北方3.2km、千曲川東岸(右岸)、標高約336mの平野部平場に立地したと推測される居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている「関山国師伝承地」を目標に設定して下さい。車も余裕で捨てられるんだけど、高梨の小字が残るこの辺が該地だ…としか言えんわ…
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは高梨氏です…なんだけどとりま以下を参照してくらさいな。
まず、逆説的に高梨氏最初の居館地であったと推測されている。別称には「関山国師伝承地」てあるんだけど、これは該地が、関山国師、即ち、鎌倉時代後期から南北朝時代中期にかけての名僧、関山慧玄の出生地だと伝承されているからだ。慧玄はその半生を語りたがらない人物だった事から他の高僧に比して伝えられている事跡が殆ど無いらしいが、その出自だけははっきりしており、当人は高梨氏の人間である。つまりは、高梨氏の子として産まれた慧玄の出生地は、即ち、高梨氏の居館地でもあろうていうのが推測の根拠となっている。
該地を特定する事が不可能である。推測される伝承地は確かなものとは言えず。それこそ高梨の地名が残る場所は全て比定地に該当されると考えても決して行き過ぎではないだろう。個人的には、高梨氏初代、七郎盛光による創建と伝わる高梨神社の付近一帯を推したいが…
周辺地域は後世の改変が著しい場所であり、往時の地形は完全に失われている。城郭遺構を確認出来る筈も無く、地字も残っていない以上、探索する手立てすら無い。
付近一帯を歩き廻ってみたんだけど成果無く徒労に終わる。しょうがないので「関山国師聖誕地」て刻まれた石碑を写真に収めて陣払い。説明板も立ってるんだけど、板が銀板で写真においらの立ち姿がぼやけて写り込む…最近、プロダクションから肖像権についてのお話しがあったばかりなので投稿すんのはパスしとく。代わりに縄張図?における中心地に建つビニールハウス群の写真でもどうぞ…
門外漢だけど、関山慧玄について簡単に調べていたら仏教界の超ビッグネームだった。臨済宗妙心寺派の寺院、大本山妙心寺を開山したのはこの御方、明治四十二年(西暦1909年)四月には、明治天皇から無相大師号を追謚されてもいる。生活は極めて質素、禅風は厳格、生死の大事を問う僧を棒で叩いて追い返した逸話が伝えられている。何だか妙心寺を訪ねてみたくなったぜ。
※不毛な結果に終わったとしても構わない〜最近じゃ、「おいおい、こりかょ…」みたいな感じを楽しんでいる。
※高梨氏の人間〜高梨氏の一族、高家の子か孫と伝わる。
※中心地に建つビニールハウス群〜想像を逞しくすれば三重堀切に見えるかも…もう廃人だわ…