井上氏墳墓
井上氏墳墓([井上城 寺社・史跡])
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井上氏墳墓の口コミ情報
2025年05月20日 内記かずりヾ(・ε・。)
井上氏墳墓は井上城の西北西約0.9km、鮎川南岸(左岸)、標高約359mの平野部平場に立地する墓所です。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車はそこら辺に捨てられる。
清和源氏頼季流の井上氏の墓所となる。同氏については同じ井上城のリア攻めマップにある井上氏居館も併せて参照してくらさい。以下はその続きである。
源頼朝によって当主が誅殺され、鎌倉時代には閉塞を余儀無くされた井上氏だが、断片的な史料しか残されておらず、はっきりとした事跡にあっては体系的に語る事が難しい。南北朝時代にはその傾向が更に顕著となり、史料となると皆無に等しくなる。「観応の擾乱」の際には直義方に与した事が判っているが、同族の須田氏、高梨氏は尊氏方として活動している。
応永七年(西暦1400年)七月の「大塔合戦」の際には、反守護方として井上左馬頭光頼が、舎弟の遠江守、万年、小柳、布野、中俣等の一族、もしくは被官衆を引率し、須田伊豆守、島津刑部少輔(国忠)を従えた総勢、五百騎余を以て参陣、篠ノ井二ツ柳に張陣している。光頼が引率した各諸氏の姓は何れも在名から取られているが、これを見るとその地名は千曲川の両岸に及んでおり、善光寺平への勢力の伸長が確認出来る。特に布野には古来から同川の渡し場が設けられており、善光寺と高井郡とを一直線に結ぶ中道は布野の渡しで千曲川を渡る。
永享十二年(西暦1440年)の「結城合戦」における陣中警護の輪番を定めた「結城陣番帳」には、「四番 井上殿」、「六番 井上彦四郎殿」とあり、惣領家と庶流家がそれぞれ参陣している。又、別に、「九番 栗田殿代井上孫次郎殿」とあり、井上氏は戸隠別当でもあった栗田氏の代官を輩出していた事も判り、孫次郎は栗田殿の代(理)として参陣している。
「諏訪御符禮之古書」を見ると、室町時代後期における井上氏の所領実態が克明に記録されており、この頃には高井郡のみならず、善光寺平の幾つかの諸郷に代官支配を実現させていた事が判る。又、本拠の井上郷は、井上十六郷、即ち、井上庄との認識も別にあり、その範囲は、井上、宇原、小坂、九反田、幸高、塩野、仙仁、栃倉、中島、仁礼、野辺、灰野、八町、福島、村山、米持等の広域が推測され、現在も多くの地名が小字としてそのまま残っている。
その一方で、鎌倉時代には既に自立の傾向が見られる、同族の須田氏、高梨氏の台頭も著しかった。応永七年に井上氏が差配していた布野は、康正年間(西暦1455年〜1457年)には大岩須田氏の為国が知行し、文明十一年(西暦1479年)には須田氏惣領家の満信が知行している。
「諏訪御符禮之古書」、寛正七年(西暦1466年)丙戌花會の条には、「一 山田(高井郡)井上安芸守満貞御射山と申候此年死去候御符之禮一貫八百文此年村上方と依弓矢御射(符)お取返申候御頭役七貫文高梨殿より御沙汰候」とあり、高井郡山田を知行する井上安芸守満貞が、此年に村上氏と合戦に及び同年に死去(討死だろう。)、御符の礼銭、一貫八百文を取り返した。頭役の七貫文については高梨殿が負担するとの御沙汰があったと言っている。
又、同書には、「同五月廿三日、井上方ト須田(雅政)弓矢出来之間、御符入候須田郷中江寄来候伝々、井上方打負多打死候、」とあり、應仁二年(西暦1468年)五月廿三日、井上氏と須田雅政が合戦に及び、井上勢が打ち負け、多数が討死したと言っている。
同じく同書、應仁三年(西暦1469年)己丑花會の条には、「一 宮頭狩田(雁田)高梨政高御符禮五貫六百文御教書同前代官原貞成使孫六神鷹神馬代三貫文井上依弓矢狩田不作候へ共如此沙汰候御頭役五拾貫」とあり、原貞成が代官を務める高梨政高の知行地、狩田(雁田)に井上勢が打ち入って合戦に及び、狩田は不作になったと言っている。
墓所は周辺地域から出土した五輪の集積である。井上氏本来の墓所は、井上氏の祈願所である大日堂の付近が推測されており、残石の多くは此処から運び出されたらしい。深く頭を垂れて五円とルー◯インホテルで貰ったサービスコインをそっと置いておく…使うのすっかり忘れていたからだ。
※南北朝時代〜同族の仁礼(楡井)氏は南朝方に与し、長きに亘る、大隈、日向、両国における活躍で知られている。アプリの登録城、志布志城の松尾城に建つ石碑は、この楡井氏の当主、頼仲の顕彰碑(明治時代における南朝正統論によるものかな。)だ。見た時には感動のあまり男泣きしたわ。
※写真①、背景の山稜が同じ井上城のリア攻めマップにある井上氏の要害、竹の城、たぶん館の城の転化だと思う。
※大日堂〜同じ井上城のリア攻めマップにスポット登録して写真だけ置いておく。