井上氏居館
井上氏居館([井上城 周辺城郭])
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井上氏居館の口コミ情報
2025年05月16日 内記かずりヾ(・ε・。)
井上氏居館は井上城の北方約0.6km、鮎川南岸(左岸)、標高約348mの平野部平場に立地した居館です。簡単に言えば、井上城の北麓、耕作地帯の中の果樹園の一角が該地だ。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車はそこら辺に捨てられる。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは井上氏です。同氏は清和源氏頼季流であり、源(多田)満仲の三男にして河内源氏の祖、頼信の三男、頼季を祖としている。乱世も極まると出自のはっきりとしない(怪しい…)輩が増えてくるが、井上氏はまごうことなき源氏の名門、信濃源氏の代表格として遇された時期もある。
高井郡井上郷を本拠に国人領主として発展していった井上氏だが、長久年間(西暦1040年〜1044年)には、頼季(井上三郎、乙葉三郎)、その子、満実(井上三郎太郎)は既に信濃国に住していたらしい。土着した経緯にあっては不明だが、井上郷と周辺諸郷は荘園に含まれておらず、その殆どが国衛領の内であり、国司、国衛と何らかの繋がりを持った開発領主であったと推測されている。
井上氏は、早い時期から多くの一族を分派させており、満実の子、井上五郎家光を祖とする米持氏、その流れである村山氏を輩出、同じく満実の子、盛光は高梨七郎を称し、義実は須田九郎を称している。他に、桑洞、野辺、芳美、蒔田、八重森等の諸氏があるが、これ等一族はそれぞれが、鮎川と百々川が合流して千曲川に流れ込む扇状地の扇端に位置する地の在名を称しており、古くから開発が始まっていた地域とも重複する。
治承・寿永の乱、治承四年(西暦1180年)九月七日の「市原合戦」の際には、同族、村山氏の七郎義直が、平氏方の笠原平五頼直と干戈を交えている。又、「平家物語」には、井上太郎光盛が、保科(星名)党三百余騎を従えて木曽義仲に与し、治承五年(西暦1181年)六月の「横田河原の戦い」において大きな働きを示した事が記されている。
義仲の敗死後、光盛は源頼朝に従っていたと思われるが、頼朝からは常に警戒視されており、元暦元年(西暦1184年)七月十日、京から鎌倉へ下向中、駿河国蒲原駅において、駿河御家人、吉川氏、船越氏等の手によって甲斐源氏、一条頼忠と共に誅殺された。鎌倉時代における井上氏の衰退はこれが為である。
建治元年(西暦1275年)五月の「六条八幡宮造営注文」には、井上太郎跡(この場合の「跡」は井上太郎の後裔を示す。名が伝わらなかったので便宜上そう呼んでいる。)が三貫文を負担しているが、他の御家人に比してかなりの低額であり、同氏の凋落を物語っている。所領を継いだ者がいた事に間違いが無いとはいえ、建久元年(西暦1190年)十一月、右近衛大将補任の際に上洛する頼朝の隋兵から外される等、その中枢からは完全に遠ざけられた存在となっていた。
誰が井上太郎跡なのかも問題だが、「尊卑分脈」によれば、太郎光盛の甥に当たる矢井守(八重森)太郎忠長が井上氏を相伝したとあり、その子、長直が井上太郎を名乗ったとある。建長二年(西暦1250年)三月一日、幕府は、閑院内裏造営の際の負担を注しているが、この中に、押小路南から油小路西に至る築地十一本の内の一本を負担した井上太郎の名が見られ、同名はこの長直に比定されている。
居館の現況は…果樹園、一般住宅とその敷地等となっている。一般住宅の前には新旧の説明板が2枚立っているので該地の特定も容易だ。敷地範囲は明確であり、南辺には幅員のある堀形の一部が残っている。縄張は単郭方形、形状は正方形に近い長方形だが、西南角は隅切られ裏鬼門除けの入角となっている。ちなみに居館地の南側では過去に発掘調査が行われ、堀跡が検出された他、人骨等が出土している。
該地の南側には更級郡稲荷山を起点として千曲川の右岸地域を北上、高井郡の中野を通って飯山に至る近世の谷街道が、北側には善光寺平と上州とを結ぶ近世の大笹街道がそれぞれ東西に走っている。両道の道筋は近世以前から既に存在しており、特に大笹道は古くから軍勢の通過が多かった道である。現在だと周りの風景に誤魔化されて気付き難いが、井上氏の居館地は両道を扼す交通の要衝に築かれていた事になる訳だ。
この井上氏て数年前からおいらにとっては特別な存在なんすよ。此処を訪ねるのは今回で3回目になるんだけど、故郷に帰って来た様な感覚にも襲われるようになった。暫くは完全に自分の為、生真面目な口コミが続くけどどうか勘弁してね。
※生真面目〜みんな誤解しているけど、本来は凄〜く几帳面で真面目な人だ。付き合いの古い人からは、融通の利かない堅物眼鏡て呼ばれてる。誰も知らんけど。
※写真⑥、背景に写る山稜が標高771.4mの井上山っす。