須田古城
須田古城([井上城 周辺城郭])
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須田古城の口コミ情報
2025年08月27日 尼崎城因幡守一口城主
[前編:登山口〜あづまや]
以前、一緒に登山した人から、夏の菅平合宿🏉見学に行く予定なら菅平の麓の須坂臥龍山に須田城がありますよとの情報で菅平の白熱した練習試合観戦後に信州の武道家さんに連れて行ってもらいました。武道家さんは臥龍公園のカンガルー🦘のいる須坂市動物園の印象が強かったようです。
臥龍公園散策マップ(写真①)から竜ヶ池の南側の山が須田城になります。
進軍早々、間違えて臥龍橋の正面に見えている臥龍山(写真②)がお城跡だと思って撮っていましたがこちらは臥龍山の誤りで、登城後に臥龍橋の中央付近から弁天島越しに城山(須田城)を撮り直しました(写真③)
臥龍橋を渡って城山方面に進むとルートの分岐点(写真④)に説明板(写真⑤)があり、お城の歴史は鎌倉時代から始まっていて戦国期のお城よりも更に歴史のあるお城であることが分かりました🤔
説明板前には左に進むようにとなっていましたが、写真④の説明板右側に見えている階段からも行けそうだったので階段から進んでみました。「観音堂へ60m」の道標(写真⑤)がありましたが観音堂への道を見落として進むとあづまや(写真⑥)に到着。こちらからは北信五岳(一部新潟県の山も入っていますが北信から見える五つの有名な山🏔️の意味だと解説してもらいました💡)や北アルプス、善光寺平、戸隠山などが見えるようですが(写真⑦)、当日は曇っていた為、北アルプスは見えませんでした。しかしながら、城下町はよく見渡せて(写真⑧)お城の見張台🔭としては絶好の位置にあったんだなぁと感じられました✨
地元の方に同行してもらうと色々と解説して頂けるので心強かったです‼️
2025年08月27日 尼崎城因幡守一口城主
[中編:本丸及び周辺]
あづまやから遺構(写真①)かもと思われる山道や臥龍山百番観音(西国三十三所+坂東三十三所+秩父三十四所)の観音碑(写真②)の側を通りながら山頂を目指すと約5分で広い曲輪の本丸(写真③④⑤)に到着✌️
本丸付近から南側を眺めると木の陰で川の流れは見えませんが百々(どど)川の河川敷が見えました(写真⑥)前編の写真⑤の説明板に「眼下の百々川対岸は野辺原古戦場といい合戦塚・往生畑の地名が残っており〜」とあったので対岸は古戦場だったようです⚔️
写真⑦だと見えにくいかも知れませんが主郭の一段下も削平地になっていて主郭を守る為の曲輪だったと思います🤔主郭から下っていくと堀家墓所(写真⑧)が見えてきました。
2025年08月27日 尼崎城因幡守一口城主
[後編:須坂藩主堀家墓所等]
写真①の簡易ルート図より、あづまや→須田城跡→堀家廟の順に散策していったので、須田城主郭から下山してまず初めに須坂藩主第十三代直虎公の霊廟(写真②)をお参り。更に下山していくと墓所の案内板(写真③)があり全体を撮影(写真④)。案内板を読んでいるとついつい須坂藩主堀家のことを調べたくなりました。大坂夏の陣が終結した翌年、元和二年(1616)初代直重が立藩したようで、当初は須坂一万石+下総国矢作(千葉県香取市)二千石の一万二千石の藩だったようです。二代が弟たちに二千石を分地した為、須坂は一万石となったようで、初代、二代のお墓が香取市にあることに納得。何人かのお殿様のお墓は東京(江戸)だったので屋敷のあった江戸に建てたのだと思われます。須坂藩堀家の江戸屋敷を巡って、かつての田中角栄総理の目白の邸宅が須坂藩堀家屋敷跡だと誤認され角栄さんが須坂市に来られたことがあったようです。須坂藩堀家の陣屋跡に藩主の御先祖様の姓が奥田であることから藩主を祀っている奥田神社⛩️を角栄さんが訪れて神社名を揮毫🖌️されているようです。目白の邸宅は、堀家違いで同じ信州の飯田の堀家の屋敷がかつてあったとのことでした。
脱線してしまいましたが元に戻って堀家墓所付近には観音堂(写真⑤)があり、こちらは須坂藩主四代直佑公が享保三年(1718)に寄進創建されたもののようです。※現在のお堂は昭和三十七年(1962)に再建されたものとのことでした。
帰路は動物園方面に下山する道中、須田城塹壕(写真⑥)の案内を見つけ、遺構(案内図)の裏にも回り込んでみましたが、どれが塹壕なのか不明だったので💦看板付近の散策路(写真⑦)を載せておきます。
最後に動物園付近の滝(写真⑧)に癒されてながら麓にゴール。
戦国期、謙信公側についた須田氏や江戸期当地を治めた堀家の息吹を感じるハイキングに手頃な山城でした。
2022年03月12日 摂政丸
鎌倉時代から戦国時代まで一帯を支配した須田氏築いた城跡です。本拠は本郷にある大岩城とその麓、現在の蓮生寺辺りと推定され、その出城と思われるそうです。
臥竜公園内のぐるっと1周コースやのんびりロマンチックコースが経由します。須坂から長野方面の街並みが一望できます。
少し降りたところには須坂藩堀家墓所があります。時代が変わっても重要な地だったのでしょうね。