城山城
城山城([井上城 周辺城郭])
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城山城の口コミ情報
2021年06月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
城山城(瀬之脇城)は井上城の東南約5.5km、標高1293.7mの妙徳山から東西に延びる山塊支尾根上、標高約695mのピークの一つに主郭が存します。東麓の国道406号線からの比高は100m位でしょか。
築城年代、築城者は不明ですが、戦国時代にお城の存する高井郡仁礼(にれ)は井上氏の支配領域で、武田氏の勢力がこの地域に伸張した永禄五年(西暦1562年)、少輔(須田信頼か。)を寄親とする仁礼衆(衆は半士半農の地侍集団を意味する。)五十人は総計五百貫文の地を与えられました。武田氏が滅亡すると森長可に従わない井上十六騎に上杉氏の直江兼続はそれぞれに持城を構える事を認めており、その中に大狭氏(お城のある場所に地名が残る。武田氏時代に井上城の支城、竹の城城主と推測される。)の名が見られ同氏に関係するものと考えられています。又、信長横死後の天正十年(西暦1582年)七月、上杉景勝は須田対馬守等7人に本領安堵していますが、その中にも大狭氏の名が見られます。
行き方はGoogleマップに位置登録されている北麓の高顕寺を目標に設定して下さい。墓地の東側から尾根に取り付けば直ぐに城域に入ります。
お城は物見台規模の縄張ですが、連続堀切と堀切+竪堀で尾根をぶった斬り、主郭は段付きでL字形の土塁が付いてます。小粒ではありますが、きっと見る者の目を楽しませてくれる事でしょう。
南北朝時代、畠山忠顕に従い日向で事跡が見られる楡井頼理、志布志城(松尾城)城主であったその子頼仲は信濃源氏井上氏の庶流と推測され、城山城のある高井郡仁礼の地名を取って名字としました。遠い日向の地で信濃から高僧玉山玄堤を招き大慈寺を開基しその地に眠る当人を思うととても感慨深いものがありますね。
2021年04月13日 赤かぶ【】
須坂市仁礼にある城山城は別名 瀬之脇城とも呼ばれており高顕寺さんの裏山(南側)に築かれたお城です。
明確な登城口はなく、観音堂から上がるor墓地の左端から尾根に這い上がるみたいな感じです。
今回は墓地の左端から登城しました。まず尾根へ上がるのに薮がひどいく登るのが大変!踏み跡もなく急斜面を直登して行きます。滑りやすいので木々に掴まりながら這い上がって行きます。15~20分ほどで主郭にたどり着きます。
主郭には土塁その背後には二の曲輪との間の大堀切を見ることが♬︎
二の曲輪と三の曲輪の間の堀切はだいぶ埋まってました。
三の曲輪と四の曲輪の間の堀切は明瞭に見れますよ♪
四の曲輪の先はかなり笹薮に覆われており観音堂からの道に出れる事が出来ますが、こちらも道がなく薮まみれになっています。
麓の高顕寺さんには有名な桜があるとの事です。興味のある方は合わせ訪れて見てはいかがでしょうか☀︎
① 登城道
② 主郭土塁
③ 主郭背後の大堀切を下から
④ 主郭背後の大堀切を上から
⑤ 三の曲輪と四の曲輪の間の堀切
⑥ 四の曲輪