窪寺氏館(御屋敷)

窪寺氏館(御屋敷)([旭山城  周辺城郭])

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窪寺氏館(御屋敷)の口コミ情報

2024年03月19日 内記かずりヾ(・ε・。)


窪寺氏館(御屋敷)は旭山城の南方約2.1km、犀川北岸(左岸)、標高約382mの緩斜面上平場に立地した居館です。該地は西方山塊が善光寺平に消える裾野の最上段に当たる。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。但し、周辺に車の捨て場所は一切無いので注意が必要だ。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは窪寺氏です。同氏は滋野姓海野氏の分流とされるが確証を得られない。「吾妻鏡」、文永二年(西暦1265 年)大廿日甲寅、善光寺奉行人の一人に窪寺左衛門入道光阿が定められているのが文書上の初見、続いて建治元年(西暦1275年)五月、「六条八幡宮造営注文」には窪寺入道跡の名が見られ、入道跡(この場合の「跡」は入道の後嗣を意味する。当人の名を把握出来ていなかったので便宜上そう呼んでいる。)は造営費用に六貫文を負担している。鎌倉幕府の御家人として既にこの頃には当地にあった訳だ。

「諏訪御符禮之古書」には、長禄二年(西暦1458年)戌寅花會の条、寛正四年(西暦1463年)癸未花會の条に窪寺備前守貞光の名が見られる。但し、これ以降、同書に同氏の名は見られなくなり、窪寺郷には小田切氏への領主の交替が確認される。在地土豪としての独立性は失われ、以後は同族とされる小田切氏に従ったものと推測されている。

応永七年(西暦1400年)には信濃守護に補任された小笠原長秀に抗する大文字一揆衆を形成する十二氏の内の一氏となった。一揆衆は長秀の善光寺入部を受けて相談を行なっているが、会堂の場所は窪寺郷内とされている。ちなみにこの時点での採るべき方針は態度を見極め様子見する事で決したらしい。又、永享十二年(西暦1440年)の「結城合戦」における陣中警護の輪番を定めた「結城陣番帳」には、「十五番 小田切殿 窪寺殿」とある。

居館の現況は…もはや住宅地の中の一角なので何がどうやら…改変著しく旧態を見ない。該地の段差と道筋に堀形を求めようとする事が関の山、流石に阿呆らしくなって中断した。

口碑によると、戦国時代には小田切氏に従って武田氏に抗したが、窪寺大学幸忠は窪寺郷において自滅、武家としての窪寺氏は断絶したんだそう。少なくとも同氏は約三百年の間、窪寺郷にあった事になる。

※写真②は居館地西側に建つ西蓮寺とその一帯、同寺は現在無住だが檀家の方達によって丁寧に管理されている。ちなみに窪寺氏の菩提寺でもあるのだが墓塔等は探し出す事が出来なかった。

※写真③は「御屋敷」地籍中央部から撮影した窪寺氏の要害、窪寺城っす。この写真は去年の物、薄い物件だけど実は再訪、別件で近くを通り掛かったんで…

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