木曽殿屋敷
木曽殿屋敷([旭山城 周辺城郭])
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木曽殿屋敷の口コミ情報
2025年01月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、長野県には木曽郡以外にも城館?の名称に「木曽」が付く物件が数箇所存在する。別に木曽義仲が築いた訳でもなければ、中世の木曽氏が関係している訳でもない。簡単に言えば、敗死した義仲の一族や一党が追討を逃れて隠れ住んだとする伝承が残る場所であり、大抵は人里離れた何の脈絡も無い突飛な山中に位置している。
おいらは今までに3件程この手の物件をリア攻めしているんだけど、これ等に共通する感想は「二度と行かねぃ…」だ。林道から近いとはいえ、見渡す限りの山の中、人里離れたてよりは人の入らなくなった原生林の中を彷徨っているに等しい物件(木曽城、木曽の城)もあれば、ウィンタースポーツのシーズン中に長靴でリフトに乗り、後ろ指を指されながら滑る方向とは逆に登って該地を目指したなんて事もある(木曽殿館一ノ物見)。山頂でもない周囲と隔絶した山中の不明瞭な一点を目指すのだから、登城?中は常に気持ちが後ろ向き、そして苦労して得られる成果が何一つ無い(殆ど地山っす。)。
今回紹介する「木曽」は、前述とは違い車で横付けが出来る楽ちん物件、安心してつかぁさい。但し、色々と問題があると思う。
木曽殿屋敷(朝日氏邸)は旭山城の南東約0.9km、裾花川西岸(右岸)、標高約486mの丘陵地上平場に立地した屋敷です。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車は該地の上段に付く舗装農道の路肩に捨てられる。てか時間を取らないんで路駐でもOK♪レベルだ。ちなみに初訪問になるんだけど、旭山城の帰り道に寄ろうと決めていても毎回の如く通り過ぎてしまっていた。今回も旭山城リア攻めの余韻に浸ってしまい勢い余って見事にスルー、結局鬼バックして何とかリア攻めに漕ぎ着けた。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは木曽義仲の嫡男、義高の舎弟である某、その後裔、朝日氏と伝わるが…
「長野県町村誌」には、「本村の東北(平柴村東北)の方字木曾殿屋敷地にあり。東西二十間(約36.4m)、南北二十六間(約47.3m)、現今民有畑に属せり。里俗傳に古時年暦不詳、鎌倉府の時 志水(清水)冠者義高の舎弟某本村に潜居し、其裔朝日右近村上氏に属すと云ふ。一に甲越戦争の頃、小柴見宮内子朝日右近あり、里老の口碑に、本村(安茂里村)の内平柴を領すと云ふ。事跡不詳。」とある。
まず、清水冠者義高の舎弟、某だが、実在するのかについては限り無く疑問、仮に実在していたとしても、その年齢は義高を越える事はないのだから潜居した時の年齢は十二歳より下の筈だ。又、該地の平柴は南北朝時代に至ると守護所が置かれた場所である。潜居先としては不適当、つまりは全然潜めていない感じ…
「小柴見宮内子朝日右近」が平柴を領したとする記述から現実性を帯びてくる。村上氏に属したともあるが、これは小柴見氏自体が村上氏に服属する小田切氏、もしくは栗田氏に従う在地土豪であったからであろう。従って裏付け出来るような史料を欠いているとしても、該地を単純に朝日氏の屋敷跡とする方が遥かに賢明だ。木曽氏云々は後背地の旭山(朝日山)と朝日将軍にかこつけた仮冒に過ぎないと思われる。
屋敷の現況は…果樹園となっている。既に町村誌が成立した明治時代初頭には畑地となっていたのだから致し方ない。但し、同誌に添付された絵図とも全く変化が無いのも事実…上段から緩斜面上に張り出す微高地が屋敷地の範囲としてそっくりそのまま残されている。谷側に見られる土留めの石垣は後世の改変、城郭遺構は何一つ見出せないが、もやもや悩む事も無いので実に気持ちが良い。ちなみに展望が非常に優れている。こんな目立つ場所に義仲の実子が潜居するなんて事はまずあり得ないわ…
該地の平柴には今も田地が存在しない。善光寺領となった近世の平柴村時代には「正保郷帳」に、「皆畑 旱損(かんそん)所」と注記された程だ。山際上段の乏水地に井水等で水を引く事は到底叶わなかったのだろう。町村誌の記述から、少なくとも室町時代には平柴を知行地とする武士があった事になる訳だが、その経営とは一体どんなものであったのだろうか。考え出すと夜も眠れなくなるわ…
※朝日右近〜旭山城の築城者を同名とする伝承がある。少なくとも同城の発生には関係しているとも言えそうだが…
※何のアナウンスも無いが、屋敷地に隣接して「木曽屋敷1号墳」と呼ばれる古墳を見る事が出来る。ちなみに小柴見、平柴地区には22基の古墳(横穴式円墳)が点在している。
※写真④は木曽屋敷1号墳を撮影したもの。