西厳寺

西厳寺([長沼城  周辺城郭])

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西厳寺の口コミ情報

2024年08月05日 内記かずりヾ(・ε・。)


西厳寺は長沼城の南方約1.0km、浅川東岸(右岸)、千曲川西岸(左岸)、標高約334mの平野部平場に立地する寺院です。謂わゆる千曲川の氾濫原であり、寺地の東側には同川の堤防が迫っている。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。周辺地域は寺院が隣り合う様に集中する寺町である。

西厳寺は、鎌倉幕府第四代征夷大将軍、藤原頼経に従って下総国に下向した成田下総守政晴が仏道に帰依し、後に親鸞の関東滞在中にその弟子となり出家、空晴を号し、建武八年(西暦1256年)、同国磯部に西厳寺を創建したのが始まりである。元弘元年(西暦1331年)、三世空念の時代に関東の戦火で焼失、延元元年(西暦1336年)、駒沢兵部少輔が当地に招いて再建した。宝徳元年(西暦1449年)には蓮如が訪れ、文明二年(西暦1472年)には二ヶ月程滞在、その跡は「蓮如堂」として今に残っている。

永禄十一年(西暦1568年)には武田信玄が寺領四十貫を安堵し、上杉勢が攻め寄せる際には海津城に入り、越後口に兵を出す際には野伏一人を同道させる事を求めている。天正五年(西暦1577年)には一向宗門徒が籠城する摂津石山城へ兵糧米七十三俵を送った記録が残る。

「信濃の山城と館2、更埴・長野編」に掲載があるが、信濃のお城の神は城郭寺院として西厳寺を見ているようだ。武田氏は、浄土真宗と盟約関係にあり、領内の同宗寺院に対して一定の軍事的協力関係を求める事が出来る立場にあった。

城郭遺構は見出せないが、門外漢にも寺院として訪れる価値が十分にある。北信、特に太田庄内において浄土真宗を広めたのは西厳寺であるとするのも頷ける。太鼓楼(本證寺の鼓楼に似た花頭窓が印象的だ。)の脇を抜けて石畳を歩き、蓮如堂を右手に見ながら進めば大きな本堂が眼前に現れる。正直、こんな立派な寺院が千曲川の堤防脇にあった事にびっくりした。春には堤防上の桜(桜づつみ)も咲き乱れるらしいので、季節を選んで訪ねるのもよいだろう。又、情報確認不足で未見だが、真宗大谷派第十二代法主、教如光寿の長女である智光院妙空禅尼(朝倉義景の娘である三位殿との間に儲けられた女子である。)の墓があるらしい。

※ 摂津石山城へ兵糧米七十三俵を送った〜この手の話をいつも疑問に思うのだが、遠隔地に兵糧米を直接担いで運び入れたとはとても思えない…為替によるものなんだろうか。

※ 磯部六ヶ寺の一つである。現在は真宗大谷派、山号は成田山、安養院西厳寺となっている。

※西厳寺に隣接して、西光寺、証各寺、勝念寺、徳乗寺の四寺が建ち並ぶ。元は全て西厳寺の塔頭であり、現在も真宗系の寺院である。かつての西厳寺の寺地は広大だった。

※写真③、背景の堂宇は西厳寺の南側に建つ東本願寺単立の寺院、西光寺の本堂、山号は山崎山である。

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