頼朝山砦

頼朝山砦([葛山城  周辺城郭])

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頼朝山砦の口コミ情報

2024年01月14日 内記かずりヾ(・ε・。)


頼朝山砦は葛山城の南方約0.7km、標高644mの頼朝山(八幡山)に立地する砦です。南麓の裾花川からの比高は250m位でしょか。善光寺から戸隠神社に至る戸隠古道は三筋あり、頼朝山の中段を通る道筋はその内二筋の重複区間である。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。葛山南面中腹に建つ浄土宗の寺院、静松寺が登山道入口となる筈…おいらはこのルートを選んでないけど、お寺さんに車を捨てたら5分位で辿り着けると思う。

頼朝山は前述の静松寺の由来によると、征夷大将軍源頼朝が建久八年(西暦1197年)に善光寺へ参詣した際に、以前源氏再興のため諸国遍歴の途中、この寺で没した家臣の菩提を弔うために、寺に田地山林を寄進しみずから「頼朝山法性浄院静松寺」と名づけた…とあるそうで、将軍自らがお寺さんに寄進した由緒あるお山なんだそう。おいらが当時の住職だったら、「こんなもん寄進されてもなぁ…」みたいな感じにはなると思うんだけど、他に寺領として田莆も寄進されてる筈なんで安心してつかぁさい。

八幡山とも呼ばれる訳だが、かつて静松寺の鎮守社として八幡宮が鎮座していた。昭和十三年(西暦1938年)に社は焼失し、現在は巨石上に石祠が残るのみである。弘化年間(西暦1845年〜1848年)には八代松代藩主、真田幸貫が鬼門除の守護社として祭祀したそうで、別に鎮護峰とも呼ばれるらしい。

「信濃の山城と館2、更埴・長野編」に掲載がある。頼朝山を中世の砦跡とする認識は「長野市史」に書かれるのみらしく、史料、伝承等を欠き、本当にそうだったのかは確証が得られないようだ。又、最も問題なのは該地に鎮座していた八幡宮の創建年が不明な事、あんまし頑張って調べてないけど、これによって見方が大きく変わってしまうと思う。

砦の現況は…土檀様の主郭とその下段に半周する腰郭を持つだけの単純な縄張、葛山に至る主郭からの北側尾根には堀切が2条残るとされるが、現況、この段差を遺構と判断するのは非常に難しくなっている。この堀切、見える人には土橋まで見えるらしいんだけど、眼を凝らしてもそんなもん何処にも見当たらない。又、葛山と頼朝山を隔てる鞍部には見事なまでの竪堀様地形が確認出来るが、まぁ違うやろ…静松寺へ通じる古い道筋に付く尾根の乗り越し、八幡宮への参道の一つであったと考える。

砦感は十分だし、旭山城を覗くには最良の場所、葛山城の支砦としても機能するが、今に残る遺構っぽいものの全て砦の普請と判断する事も難しいだろう。但し、葛山城を攻めるならば無視出来ない地勢にあるのも事実、頼朝山に兵を入れたとする推測については異議を差し挟まない。葛山城の水の手は静松寺の旧地に求められていたともされるので重要な場所である。

色物物件の一つだけど、おいらはそれなりに楽しめた。葛山の下段故に展望は限定されるが、旭山城の動きは逆に手に取るように見える。中二病的に葛山城籠城衆の一人として往時の雰囲気を味わおう。葛山城攻めの取り付きは正にこの頼朝山だったのかもしれない。

※山城好きにとっては単独目標に成り難い物件、葛山城との比高差は175m位にもなるので、車をデポしていなければ同時リア攻めが非常に面倒、葛山城のリア攻めを終えたら駐車場所に戻り、改めて前述のルートで登るのが正解だ。

※写真③に映る東屋は「頼朝亭」…一つも心休まらねぃ…

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