東条氏廟所
東条氏廟所([尼厳城 寺社・史跡])
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東条氏廟所の口コミ情報
2026年09月10日 尼崎城甲斐守一口城主
尼巌城(山)下山後、尼巌城城主の東条氏廟所に向かいました。(写真①:背景尼巌山、写真②:廟所)
廟所方向へ向かい(写真③、④)東条氏の廟所(写真⑤)をお参りして説明板(写真⑥)を確認。
説明板を読んでお安姫(御安御前)や尼巌七騎(東条七騎)、紅梅観音が気になったので調べて色んな検索結果からピックアップしてみました。
建久八年(1197)源頼朝公が善光寺をお参りした際、尼巌城城主(尼将軍)の娘お安もまた参詣しており、その姿に心を動かされた頼朝公はお安姫を鎌倉へ連れて帰り側室としたそうです。頼朝公の寵愛を受けるお安姫に対して北条政子は嫉妬心で「もし懐妊すればただではおかない」と脅し、お安姫は庭に咲く紅梅に向かい「どうか実を結ばないように」と祈ると不思議なことにその紅梅は実をつけなくなったそうです。
その後、懐妊したお安姫は政子の嫉妬を恐れて郷里の松代東条へ戻ることを許され頼朝はこれを許して護衛の武士七騎(尼巌七騎/東条七騎)をつけて帰郷させ、その際、お安姫は上記の紅梅を根ごと掘り起こし松代の別荘に植えその紅梅は後に「お安紅梅」と呼ばれたとのことでした。
現在の東条ではお安姫が暮した一帯が御安町(ごあんまち)という地名で残っているそうです。
お安姫は女の子を出産したそうですがその子が早逝してしまい我が子の菩提を弔う為に上記の紅梅を植え観音堂を建てたとのことでした。
お安姫(御安御前)は母親の尼巌城の尼将軍と鎌倉の尼将軍(北条政子)の2人の尼将軍のはざまで翻弄された人生だったように感じました。









