川中島の戦い初戦の地八幡の碑・説明板
川中島の戦い初戦の地八幡の碑・説明板([松田家館 碑・説明板])
松田家館 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:碑・説明板)、「川中島の戦い初戦の地八幡の碑・説明板」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
川中島の戦い初戦の地八幡の碑・説明板の口コミ情報
2025年07月15日 いれぶん武蔵守
甲越「八幡の戦い」記念碑
川中島の戦い初戦の地八幡
戦国の世、一五五〇年前後の信濃は弱小国衆が多く、甲斐の武田暗信(信玄)の信州侵攻に悉く打ち破られ、残る武田の敵は当地一帯の領主、村上義清のみとなっていた。
上田原の戦い、砥石崩れと二度に負り武田軍の総攻撃を退けた村上義清であったが、一五五三年四月支城を含めて周辺国衆の殆どが武田に屈服したため葛尾城を自落し越後の長尾景虎(上杉謙信)援軍を求めた。
十三日後の四月二十二日、上杉の援軍を得た村上・上杉軍(五千人)は、旧領奪回を目指し当地八幡に達したところ、青柳城から派遣された武田の迎撃隊(御人数八頭·推定二千人超)と衝突し、これを打ち破り翌日には葛尾城を奪回し、塩田城に拠点を移し再挙を期した。
しかし、武田信玄の信州侵攻は止まず、この「八幡の戦い」は以降十二年にわたる「川中島の戦い」の「初戦」となった。
二〇一八(平成三〇)年一〇月建立
甲越「八幡の戦い」記念碑を建てる会
(説明板全文)