佐野山城(古家館)

佐野山城(古家館)([松田家館  周辺城郭])

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佐野山城(古家館)の口コミ情報

2024年04月04日 内記かずりヾ(・ε・。)


佐野山城(古家館)は松田家館の西方約3.5km、佐野川北岸(左岸)、標高1166.6mの高雄山前衛山塊を構成する一つ、標高約687mの山稜山頂部を中心に立地する要害です。南東麓の登城路入口からの比高は105m位でしょか。山稜は南北を滝の沢とじいだれ沢に挟まれ、滝の沢の水は不動滝として落ち佐野川に流れ込む。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。林道不動滝線を車で進み案内板の所で車を捨てる。前述の不動滝から登城路がしっかりと付いているので迷わない。

築城年代は不明、築城者は桑原氏とされる。同氏は「諏訪御符禮之古書」、康正二年(西暦1456年)丙子五月會の条に、「桑原藤原幸光御符之禮五貫八百文頭役三十貫文祝達に別五貫文」とあるのが文書上の初見、又、同書によれば、四宮庄にあった桑原六郎次郎源貞光が、文明十七年(西暦1485年)乙巳花會明年頭番役事の条では塩崎源貞光を称している。以後、桑原氏の名は同書に見られなくなる事から、塩崎氏とは桑原氏から出たものだと推測されている。

このお城、谷筋の奥まった場所に位置し、現在は非常に地味で寂しい印象だが、一次資料にも登場し、周辺地域も含めて廃城まで常に重要視されてきた要害である。天文二十二年(西暦1553年)、武田氏は村上氏の拠るアプリの登録城、葛尾城を攻める際、更級郡に割拠する屋代氏、塩崎氏を調略、四月五日には同心し、葛尾城自落の四月九日に両氏は出仕している。義清に葛尾城退去を決意させたのは両氏の離反である事に疑いは無い。又、天文二十四年(西暦1555年)四月廿五日、内田監物宛、武田晴信朱印状案には、「就佐野山在城、其方知行北大監廿三人之前、押立公事令免許者也、仍如件、」とあり、武田晴信は内田監物に佐野山在城を命じ、併せて同名の知行地における被官衆の諸役を免じている。佐野山城は少なくとも一時期において武田氏直轄の要害であり、更級郡と筑摩郡を結ぶ道筋、猿ヶ馬場峠道を扼し、アプリの登録城、牧之島城(城代=郡代が置かれていた。)へも通じる交通の要衝に立地する同城は、後の「川中島の戦い」においても重要な役割を担った事だろう。

「天正壬午の乱」の際には、屋代左衛門尉秀正、塩崎六郎次郎の両名が更級郡において上杉氏を離反している。「歴代古案」には、「逆徒居城荒砥、佐野山両地不経五三日自落、無行方為射候」とあり、アプリの登録城、荒砥城と佐野山城がその舞台であった事が判る。両城は五三日〜数日を経ずして自落したとあるので戦いがあったようには思えないが、徳川家康感状等によれば、佐野山城に拠ったのは塩崎六郎次郎である。武田氏被官時代を経ても、屋代氏と塩崎氏は常に相談、同心する間柄にあったようにも思える。

お城は再訪となる。初回訪問時は夕刻を過ぎてしまった上に、言葉では言い表せない不気味さみたいなものを感じてしまい主郭に辿り着く前に敗走した。霊感ゼロで何を見た訳でもないんだけど、此処から離れた方がよいと強く思ったのは事実だ。山麓から見れば要害地形である事は一目瞭然、佐野川と両沢による侵食だろうか、岩盤層の露出した三方急崖の山陵はそれだけで要害として成立する。

堀切は主郭部西側山側背後に僅か1条、信濃の山城としては珍しい部類に入る。守りの要は主郭東側、急な斜面に設けられた帯郭状の腰郭群だ。下段から見上げた際の威圧感は流石と言うべき。初回訪問時は後世の改変とも感じたが、今となっては城郭遺構と断じて差し支えないと思う。又、虎口様の地形が数箇所に見られる他、腰郭の一段には山の神が鎮座、おいらはこの山の神感MAXの佇まいが本当に好きー、但し、里山の山の神は他人が祈ってもしょうもないものばかりなので挨拶のみ。

登城路入口の不動滝は西行法師、小峠英二…もとい、正岡子規も訪れた事のある名勝、小さな滝ではあるんだけど、両名が訪ねる事が出来たのはそれぞれが行程とする往時のメインルートから寄り道出来る距離にあったからこそだろう。周辺における近世以前の道筋は調べてもよく判らないものが殆どなので、詳しい方が御教授下さる事を切に願っておりやす…

※桑原氏は本姓、藤原氏を称したが、後には源姓となっている。

※内田監物は佐野山在城を命じられたが、知行地そのものは諏訪郡の内であり、該地の桑原を知行地としていない。詳細が伝わらない人物だが、後には海津城に在城した事が知られている。又、個人に在城を命ずる書状は珍しいと思う。

※屋代氏、塩崎氏の上杉氏離反、徳川氏への同心は景勝に衝撃を与え、同年の新発田攻めを中断に追い込んでいる。

※写真⑧は不動滝、凍り付いてるけど…

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