県山城
県山城([屋代城 周辺城郭])
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県山城の口コミ情報
2025年03月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
県山城(あがたやまじょう)は屋代城の東南東約3.2km、沢山川東岸(右岸)、三滝川南岸(左岸)、標高841.4mの大峯山から西方へ伸びる尾根中段上、標高約559mの小ピークを中心に立地する要害です。西麓の舗装道路からの比高は185m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている西麓の「株式会社渡辺工業」を目標に設定して下さい。この事務所?の背後が該当尾根となる。適当な場所を選んで適当直登するのもよいが、山尾根の南側には不鮮明ながらも山道が付いており、尾根間鞍部のこれを登って該地の南側を目指すつもりで比高を稼ぐのがベスト、頭上に送電線を認めたら北側の斜面をよじ登って山尾根に上がれば殆ど辿り着いている。中部電力の送電線の鉄塔、No.31から城域と思われるが、城郭遺構が確認出来るのは此処から尾根筋を少し下った場所からである。
「信濃の山城と館2、更埴・長野編」に未掲載の物件である。旧更埴市遺跡分布図、現在の千曲市遺跡分布図にも図示されているが、信濃のお城の神が何故に見落としたのかは多いに謎とするところだ。又、まともな調査は行われていないとはいえ、幸いな事に先達が探索に入っており現在も詳細が個人ブログで確認出来る。
築城年代、築城者は不明だが、村上氏、もしくはその一族、被官衆等の普請である事に間違いは無いだろう。同じ屋代城のリア攻めマップにある入山氏森館の入山氏はその有力な候補として挙げられる。該地の南方には、千曲川の流れに沿う、五里ヶ峯系山塊を越える宮坂峠道を控えており、同川右岸地域の戸倉へ抜けた後に山際を東行して福井に至れば、村上氏の本城である葛尾城の支城、岩崎城は目と鼻の先だ。廃城時期は同氏の信濃退去後の事であろう。
縄張は東西に長く展開し、その間は約0.5kmである。主郭は土塁付き、その東側山側背後には連続堀切を穿ち、一部には竪堀としての落とし込みの部分も見られる。主郭部の副郭から一段下がった場所には不明瞭ながらも4〜5段程度の段郭が設けられ、これ等を過ぎると散漫な尾根筋へと急に変わる。該当尾根末端部の削平地には東側山側背後に明瞭な堀切、この部分を推測するに物見の郭であろうか。
期待していなかったが、意外にもはっきりとした城郭遺構が確認出来た事には驚かされた。前記した理由から訪ねる人も殆どいない山城だが、小品としては今も十分な魅力を放っている。
「信濃の山城と館」をバイブルとして信濃の全城館制覇を目指すおいらだけど、未掲載の物件は神ブランドから外れたような気がしてどうしても後回しにしてしまう。実は近隣の長野市篠ノ井塩崎にも1件、そうした物件があるんだけど、既に訪城計画を立てて置きながら2年近くを無為に過ごしている。行かず嫌いはよくないや、県山城の訪問が弾みにもなった事だし今度こそ行ってみる。
※該地の南麓には「殿入」、南西麓には「小路」の字地名が残っており、居館地等の存在が疑われる。
※戸倉へ抜けた後に東行し福井に至れば〜戸蔵(戸倉)と福井は、永禄二年(西暦1559年)の所領替えにより、屋代城の城主であった屋代氏が知行地とした郷村である。武田氏時代の同氏は新砥(荒砥)に居館したと伝わるが、その知行地は大河である千曲川の左右両岸に及んでいた事になる。
※写真⑧は南麓から撮影した近景っす。