入山氏森館
入山氏森館([屋代城 周辺城郭])
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入山氏森館の口コミ情報
2024年08月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
入山氏森館は屋代城の南東約2.4km、標高約385mの山間平野部平場に立地した居館です。該地の千曲市森は、標高651.7mの有明山系山塊と標高841.4mの大峯山系山塊に挟まれた地域であり、名産の杏に因んで「あんずの里」と呼ばれている。
行き方はGoogleマップに位置登録されている浄土宗の寺院、「興正寺」を目標に設定して下さい。この寺院の周辺が概ねの該地となる。車も当然捨てられる。
「信濃の山城と館2、更埴・長野編」に掲載があるが問題のある物件だと思う。決して信濃のお城の神に抗う訳ではないが理由にあっては文中で述べていく。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは入山氏と伝わる。同氏は清和源氏頼清流村上氏の一族、寄合氏の分流とされる。「上山田町史」には、「入山氏基輔基時その子実村その子蔵人信村にいたり威頗る振い、宗家村上氏の重臣の列に入って葛尾城の北辺を守る。即ち自ら埴科郡森村に森氏の跡を受けてそこに進出し大豪族の一に加わった。その居館は現興正寺附近だという。…」とある…
…信濃のお城の神が描いた縄張図は興正寺を中心に据えているが、実際は寺地の付近に居館地が求められる訳だ。更に言えばその正確な位置は不明である。但し、同寺は度々戦火に遭い、生萱、清野、土口と寺地に移動があり、現在地の森には弘治元年(西暦1555年)に移ったとされるので、居館地の旧地に堂宇が再建された可能性も残す。
…上記理由からまともにリア攻めする気も失くすよな物件…おいらは辻に面する寺地の北東側の一角を疑うけど、素人なんでこり以上は知らんがな…折角なんで興正寺でもお参りしてとっとと帰ろうよ。
該地の大字は「清水堂」だが、東方約0.8kmの大峯山西麓には、「小路」、「殿入」の大字を残す。そもそも論で、根本的に位置に大きな誤りがあるのかもしれない。大峯山の西方尾根には、同じ屋代城のリア攻めマップにある県山城が立地するし、こちらの方が遥かに適地だと思えるのだが…
「あんずの里」は、元禄年間(西暦1688年〜1704年)に、宇和島藩藩主、伊達宗利の息女、豊姫が、松代藩藩主、真田幸道に輿入れの際、故郷を懐かしみ持ち込んだ杏の種が元となったらしい。なだらかな傾斜地に杏畑が広がり、ひと目で多くの花が見渡せることから、「一目(ひとめ)十万本」、「日本一のあんずの里」と謳われている。「千曲市 あんずの里観光会館」で売ってる杏ソフトは2個喰い出来る程の美味さなんで皆様も是非…ちなみにゆるキャラグランプリにも参加する公式キャラクター、「あん姫」が凄く可愛らしいんでこちらの方も宜しく。桜の咲く少し前の時期が杏の花の見頃だ。
※最寄り駅はしなの鉄道の屋代駅、屋代駅前通り商店街のゆるキャラ、「ヤシロウ」は設定自体が謎でしかないヤンキーであり、ゆるキャラグランプリ参加865キャラ中、808位の不名誉な結果に終わっている。商店街の会合で反対意見は出なかったんだろうか…ちなみにサングラスをかけて木刀を持っているんで仲良くするのは大変難しい。
※県山城〜神本未掲載の物件だ。写真の賞味期限がとっくに切れてるので口コミはいつの事になるやら…
※他を撮ってもしょうもないんで写真は興正寺でもどうぞ。居館地として完全否定出来る訳でもないしね。それっぽくはある。
※写真⑥、背景の山稜が同じ屋代城のリア攻めマップにある薬師山物見、色物物件だが…