生仁館
生仁館([屋代城 周辺城郭])
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生仁館の口コミ情報
2022年12月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
生仁館(なまにやかた)は屋代城の北東約2.1km、三滝川西岸(左岸)、標高約355mの台地上平場に存した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている「湛水防除事業・五十里川排水機場」を目標に設定して下さい。この堰の南側一帯の住宅地が概ねの該地です。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは生仁氏です。同氏の詳細は不明だが、村上氏の一族であるとする。長野県町村誌には「生身館跡」で掲載があり、「方正にして唯堀一重を廻らし、回字形をなし一門を開きたるのみ、形勢全く屋敷構なり。」とある。応永年間(西暦1394年〜1427年)に生身(生仁)大和守の居館だったらしく、大和守は大塔物語に村上満信麾下として雨宮孫五郎と共にその名が見える。又、永享十二年(西暦1440年)三月、結城合戦における結城陣番帳の二十六番には「雨宮殿 清野殿 漆田殿 生仁殿」とあり、川中島一帯の他の村上氏一族と共にその名を連ねる。
居館の現況は耕作地と一般住宅地で旧態は全く想像出来ない。水路に往時の堀形を求めるのが関の山だが、該地は僅かな微高地であったかもしれない。居館の東方、標高694.6mの手城山の西方尾根端部上には同じ屋代城のリア攻めマップにある要害の唐崎山城(朝日山城・藤崎城)が築かれている。
居館の北西約0.6kmに位置する雨宮の渡しは千曲川渡渉の要路であり、生仁館と唐崎山城は度々戦火に晒されている。信濃史料中、至徳四年(西暦1387年)、市河文書に「…村上頼国等は守護所水内郡平芝を攻めんとす、市河頼房、信濃守護代二宮氏泰の子同種氏に属し、同郡漆田に之を禦ぐ、尋で、信濃守護斯波義種、頼房の功を賞す、」とあり、頼国等は漆田で打ち負けた後、この生仁城に籠ったが落城に及んだとされる。要害が落ちたのだから生仁館はたぶんぼこぼこにされた事でしょう。又、応永十年(西暦1403年)、信濃国代官(この時期、信濃国は将軍家御領国となった。)、細川慈忠が入部の際、反抗姿勢を強める村上満信等の国人衆と合戦に及び、慈忠は檀原でこれ等を破る。敗走した村上勢等は再び生仁城に籠ったが落城に及んだそう。この際に参陣した市河氏貞等一族の功を賞した市河刑部大輔入道(興仙・頼房)宛、応永十年八月十八日付、足利義満御判御教書が現存する。