鷲尾城
鷲尾城([屋代城 周辺城郭])
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鷲尾城の口コミ情報
2022年05月27日 RED副将軍
素晴らしい石積み、二重堀切、三重堀切等の見所多数な信濃の名城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代等の詳細不明。
村上一族の倉科氏が城主であったと考えられています。
武田氏の侵攻によって村上義清が越後へ逃れると倉科氏も従っていった様です。
その後、清野氏によって支配された後は、鷲尾城も清野氏の支配下となり、鞍骨城の支城として機能したと云われています。
見所
板状の石を利用した牛蒡積みは信濃特有で、主郭を全周しています。南側に虎口が開口し犬走りが併設されています。
さらに主郭背後は二重堀切で遮断、更に二郭を越えると三重堀切されています。
その先には倉科将軍塚古墳を利用した郭があり、その先は堀切が二条で防御線を張っています。
行き方は、城域南にある大日堂から登山道が付いています。
近くに倉科の里広場という公園があり、そこに駐車をして登りました。
斜度はありますが、その分比高を稼げるので20分で主郭に辿り着きました。
写真
①②③主郭を巡る石積み
④主郭の石塁
⑤⑥主郭背後の二重堀切
⑦⑧二郭背後の三重堀切
2019年12月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
鷲尾城は屋代城の東方約2.7km、南西へ延びる山塊尾根上、標高約516mのピークの一つに主郭が存します。南西麓からの比高は150m位でしょか。
築城年代は不明ですが、築城者は村上氏庶流の倉科氏とされています。登城前にこの付近一帯の標柱を作成しているという方に偶然お会いしまして色々なお話を聞けたのですが、倉科氏は武田氏の北信濃侵攻の際に安曇郡に脱出した一族があるそうです。その後この地に帰還を果たし、それを記念した善光寺住職書による生還碑がこの地にあるみたいでして、今でも倉科姓を名乗る家が三軒程あるんだとか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている真田信之次女泰子姫建立と伝わる大日堂を目標に設定して下さい。お堂の裏手が登城路となっています。少しだけ登るとこれまた泰子姫開基の大善寺跡がありますが、遙か昔に土砂で流出、今は石積みが少しだけ残る二段程の削平地となっていますのでコアな六文銭ファンは是非。
お城へは急坂を一気に登る感じ。15分弱で主郭部に到達します。主郭部は通称武者返しと呼ばれる石積みにまず圧倒されます!たぶん主郭全周と腰郭の一部に施されていたと思われ、その量たるや相当なものです。虎口、土塁付きの主郭の北東側山側背後は大堀切となっていますが、堀切底部に土塁を設けて二重堀切を形成しています。更に進むと三連続堀切があり、此処から少しだけ登って行くとこのお城最大の名物が現れます!それは郭の全てが倉科将軍塚古墳という罰当たりな部分でして、古墳と言っても石室があるとかそういうレベルじゃなくて、あの前方後円墳があるんです!全長100m強の古墳はエッジを失くしているとはいえ、皆が想像するあの前方後円?みたいな感じが今も残っています!更に前方?の部分で大堀切の切岸を形成していたりしてこんなん他では見れませんわ。お城付近には綺麗に復元された有名な森将軍塚古墳がありますが、こちらの方は県内最高位にある古墳みたいですので、古墳ファンをも虜に出来るでしょう。
川中島周辺のお城としては、住宅地の裏山的な感じで気軽に行けるのも魅力です。屋代城に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。