寄合氏館
寄合氏館([荒砥城 周辺城郭])
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寄合氏館の口コミ情報
2025年08月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
寄合氏館は荒砥城の南南東約2.6km、標高約413mの山間部丘陵台地緩斜面上平場に立地した居館です。該地の千曲市新山は、平安時代中期に編纂された「和名類聚抄」に載る、更級郡「村上郷」に属する地域であった。
行き方はGoogleマップに位置登録されている「中島農園」を目標に設定して下さい。この農園から市道を挟んだ東側の一角が概ねの該地だ。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは寄合氏です。同氏は清和源氏頼清流村上氏の分流だ。
「長野県町村誌」には「寄合氏邸址」として、「本村(新山村)午未の方一八町にあり。一平地にして寄合と名く。村上氏の支流、二郎惟信居住し、地名により氏を寄合と稱す。其男小次郎時資、其孫次郎時直相襲す。後事跡不詳。」とある。村上氏系図の一つを見ると、村上為国の子に信次があり、その子に惟信がある。以後の流れは町村誌の記述と変わらない。
寄合氏は、応永七年(西暦1400年)七月から続いた「大塔合戦」の際には、村上満信麾下として寄相肥前守が参陣しているが他の事跡となると皆無である。寄合氏から別れた入山氏が埴科郡森へ進出する等して興隆したとも伝わるので、これと何かしらの関連があるのかもしれない。
居館の現況は…畑地、果樹園、空地、一般住宅とその敷地等となっている。信濃のお城の神は舗装道路に囲われた、東西約120m、南北約140mを敷地範囲としているが少し広過ぎるように思う。後世に耕作地としての改変があり、城郭遺構は完全消滅していると思われるが、北東隅に近い場所には畑地のものとしては似つかわしくない立派な掘り抜き井戸の跡が確認出来る。
Googleマップを見ていて気付いたが、前述した「中島農園」のある一角には、「内堀設備」なる事業所が建っている。地籍図を見ていないので何とも言えないのだが、もしかしたら屋号から取られた会社名ではないだろうか。だとすれば或いは寄合氏館の位置には根本的な誤りがあるのかもしれない。
※写真③、背景の山稜が同じ荒砥城のリア攻めマップにある出浦城が立地する岩井堂山っす。兎に角、目立つお山だ。ちなみにかずぽん、過去に暗闇の中で登山道を完全にロストしてしまい、竪堀様地形をスマホライトだけを頼りに直下した事がある。あらゆる意味で恐怖だった…
※写真⑤、背景に写る最も高い山稜が標高1094.3mの五里ヶ峯っす。何処かで会った登山者から聞いた話によれば熊さんとの遭遇確率がかなり高いお山らしい。その右手に見えるピークが村上氏の要害、アプリの登録城である葛尾城だ。