横山氏館

横山氏館([荒砥城  周辺城郭])

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横山氏館の口コミ情報

2025年09月01日 内記かずりヾ(・ε・。)


横山氏館は荒砥城の南南東約2.6km、標高約422mの山間部丘陵台地緩斜面上平場に立地した居館です。該地は同じ荒砥城のリア攻めマップにある寄合氏館の南西側、舗装道路を挟んだ上段に位置している。

行き方は寄合氏館を参照して下さい。謂わゆるお隣りさんなんで…車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは横山氏です。同氏は清和源氏頼清流村上氏の分流、寄合氏の分かれであろう。在名を取って横山氏を称したのは間違いは無く、「長野県町村誌」に添付された新山村全絵図には、該地と思われる場所に「横山」の字名が書かれている。文字通りに岩井堂山(町村誌成立当時は天坂山と呼ばれていた。)の山際の地だ。

町村誌の「新村山」の項には古跡としての記載が無い。どうでもよかったんだろうか。寄合氏の居館に関しては村人の間では伝わっていたものの、横山氏についてはそうではなかった事になる。或いは編纂に当たって取捨選択が為されたのであろうか。

居館の現況は…畑地、果樹園、空地、一般住宅とその敷地等となっている。信濃のお城の神は舗装道路に囲われた、東西約110m、南北約140mを敷地範囲としているが少し広過ぎるように思う。本家の寄合氏の居館地よりも上段に隣接しているのも気になるが、神の描いた縄張図に従うと、両者間を隔てる堀等を仲良く共有していた事になる。城郭遺構は完全消滅、見るべきものは無いとはいえ、西辺に沿う一般住宅や土蔵に雰囲気だけは求める事が出来る。

村上氏は北信最大の勢力を築き上げたが、武田氏によって後には信濃を逐われてしまう。戦国時代における村上氏関連の文書が極めて少ないのも急な混乱によりその多くが失われてしまった事にあるのだろう。同氏を支える一族や被官衆等が活躍していた事に間違いは無いのだが、それ故に全てが村上義清の事跡として集約されてしまう。名だけが伝わり顔が見えて来ない。残念な事だ。

※写真⑥、向かって舗装道路を挟んだ右側が横山氏館、左側が寄合氏館っす。どうでもよいレベルの話だけど…

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