若宮の館
若宮の館([荒砥城 周辺城郭])
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若宮の館の口コミ情報
2022年12月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
若宮の館は荒砥城の北方約1.0km、千曲川西岸(左岸)、標高約374mの河岸台地上平場に存した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている東方の佐良志奈神社を目標に設定して下さい。後はリア攻めマップで位置を確認しましょう。該地は長野県道77号線、長野上田線に一部が面しています。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは松田氏です。戸倉町誌では「この館跡に住む家は、伝承によると戦国時代武田氏家臣の松代城将(細かいけど海津城将の誤り。)、高坂氏の寄騎として信濃へ来住し、のち武家のかたわら神主職(若宮八幡宮だろう。)を務めるようになったという。同家に伝わる文書によると、当初は和田姓を名乗っていたが、武田氏滅亡後、更科市の八幡宮(武水別神社)の神官家、松田氏の手が伸びてくるに及んで松田姓に改めたのであろう。」とし、館が築かれた当初には荒砥城主配下の者が居たのではなかろうかと推測している。…元から存していた居館の二次利用て事になるんでしょかね。
居館の現況は正しく住宅地等となっています。敷地の西辺の一部には結構な高さを持つ土塁の残滓が残り、信濃のお城の神は土塁が居館の敷地を全周していたのであろうと推測している。ちなみに敷地の中心部に建つ一般住宅は元はお寺さんだったと思うけど…
同じ荒砥城のリア攻めマップにある左京屋敷とは一街区を挟んだ西方の御近所さん。左京屋敷の主も若宮八幡宮の神官職だけど、この若宮の館の主もアルバイト的だがそうだという事になる。もはや何が事実なのかをはっきりさせる事は難しいが、時代的にも存続時期がほぼ同一だったりするので非常に悩ましかったりする。