左京屋敷
左京屋敷([荒砥城 周辺城郭])
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左京屋敷の口コミ情報
2022年12月01日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
左京屋敷は荒砥城の北東約1.0km、千曲川西岸(左岸)、標高約374mの河岸台地上平場に存した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている東方の佐良志奈神社を目標に設定して下さい。後はリア攻めマップで位置を確認しましょう。該地は長野県道77号線、長野上田線から一本南へ入った舗装道路沿いの住宅地です。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは宮原左京です。戸倉町誌によると宮原氏は「…代々ここで神主を務めてきた家筋である。」とある。前述の佐良志奈神社は若宮八幡宮でもあり、宮原氏はこの若宮八幡宮の祭祀を一手に握っていたんだそう。
若宮八幡宮の北西約5.0km、長野県千曲市八幡に存する武水別神社(八幡宮)は、一帯が岩清水八幡宮の荘園であった事から安和年間(西暦968年〜970年)に八幡神(源氏の氏神でもある。)が勧請され、信濃随一の八幡宮として武士等の尊崇を受けていました。アプリ登録城である松田家館はその神官家である松田氏の居館、松田氏は天正十二年(西暦1584年)六月に上杉氏被官の日岐盛直が松田民部之助の後嗣として入り、稲荷山城在番、松田織部亮盛直を称して七百六十石を給地としました(別当職て事になる。)。同氏はこの地域における八幡宮を統括する役割を担っていたらしく、若宮八幡宮の宮原氏もその下風に立たざるを得なかったと推測されています。
居館の現況は正しく住宅地等となっていて往時を偲ぶには難し過ぎると思います。うろちょろしてると通報されるだけなので写真だけ撮って陣払い…若宮八幡宮の参道沿いである事は間違い無いと思うけど、今に残る道筋を是とするならば参道は直線ではなく曲げられていた事になる。
左京て素敵な名乗りっすよね、まさか武家に大人気だった左京大夫じゃないだろうけど、左京職職制の中の何かを気取ったんだろう。左京職は本来、都の行政、治安を司る役職なので、宮原氏は神官職とはいえ中世においては在地支配層の一端を担っていた事を自負していたて事なのかな。