内小屋

内小屋([戸石城  周辺城郭])

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内小屋の口コミ情報

2026年04月11日 内記かずりヾ(・ε・。)


内小屋は戸石城の西方約0.3km、神川西岸(右岸)、矢出沢川東岸(左岸)、戸石の城山と、戸石城を構成する枡形城から南東へ向けて派生する支尾根に挟まれた、標高約654mの緩斜面上平場に立地した根小屋です。簡単に言えば、戸石城の東麓に当たる。同城の大手口を後背地に控える城番衆等が居した場所であり、戸石城の構えの一つ、即ち、外郭の役目も果たしていたようだ。

行き方はGoogleマップに位置登録されている曹洞宗の寺院、「望富山陽泰寺」を目標に設定して下さい。この寺院の駐車場に車を捨てたら、同じく位置登録がある「砥石城大手口」を目指して徒歩で進もう、内小屋はこの途中に位置している。目印はNTTドコモの電波塔だ。ちなみに前述した陽泰寺は、滋野三家の一つにして滋野氏の嫡流家、海野氏の菩提寺の一つであり大変立派なお寺さんだ。

築城年代は不明、築城者は村上氏であろう。戸石城は、砥石城、本城、枡形城の三城で構成されているが、これに加えて、同じ戸石城のリア攻めマップにある、飯縄城、米山城、砥石城の番城、福沢出丸、内小屋、金剛寺城代屋敷、各番所等を構成要素に含む、戸石の城山を中心にして展開される純然たる城砦群の総称であると言ってよい。個人的にはその規模の大きさから、天文二十年(西暦1551年)五月二十六日の「砥石ノ城眞田乗取」まで、断続的ながらも同氏によって普請が続けられていたと考えている。内小屋もそうした拡張等の中で必要に迫られて築かれた根小屋等を兼ねる外郭の一つであったろう。千曲川右岸地域における小県郡の拠点城として、戸石城は村上氏が特に重要視していた要害の一つであった。

東麓の少し離れた場所から見る戸石城には、崩落箇所も散見される登頂不可能な急崖が立ちはだかっているが、この崖地上に立地しているのが内小屋だ。「枡形城から南東へ向けて派生する支尾根」は、自然地形の外郭大土塁を形成しており、内小屋自体はこれに内包されている。支尾根上には「見張台」と称する物見の場が設けられ、東方の段丘台地上は勿論、直下の神川筋を見るのにも好都合だ。

後世に耕作地としての改変があるが、平面を出すために往時も段が付けられていた可能性は高い。城郭遺構としては横堀状の結構な堀切が1条確認出来る。山上から下りて来たとはいえ、城番衆等も此処ならきっと安心して生活が出来るだろう。又、その立地から、大手口に通じる、尾根間鞍部に設けられた番所の役目も兼ねていたであろう事は想像に難くない。ちなみに内小屋跡を示す石板が転がっているが文字が摩耗しており全く読めない。

村上氏て最盛期には信濃において最大勢力を誇っていた訳なんだけど、荒砥城や葛尾城、虚空蔵山城や塩田城なんかにも見られるように、「一山、まるごと城砦群…」みたいなもんをセオリーとしていたようにも思う。武田氏が勢力の拡大に伴って早々に諦めてしまった山中の拠点城を地で行くような感じなんだけど、それ等が険し過ぎるお山に占地さりている点で極めて異質だ。各所の城砦群の全てを廻り切るのは阿保だけに許された特権とはいえ、少しでもその多くを訪ねる事を推奨する。何故に本城の一つに纏め切れなかったのかが容易に理解出来るて思うさ。

※写真⑦は文中にある山尾根上の「見張台」を撮影した物っす。以前はこの先の段上に稲荷社の小社が鎮座していたんだけど取り壊されてしまったようだ。ちなみに鳥居の東側は絶壁であり落ちたら生存は難しい…

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