小坂井の堀の内
小坂井の堀の内([上田城 周辺城郭])
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小坂井の堀の内の口コミ情報
2024年07月06日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、今回は、おいらが最も苦手とする住宅地の「堀の内」の口コミっす。止めてくれと言われても絶対に止めないw人がやらない事をやる。今後も誰も見向きもしない物件にスポットを当てていく。
小坂井の堀の内は上田城の西方約1.4km、千曲川南岸(左岸)、標高約433mの平野部平場に立地した居館です。ちなみに千曲川沿いて言う方が正しいのかもしれない。同川の堤防が居館地北側に迫っている。即ち、氾濫原である。
行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。周辺に目標となるものがありまてん…敢えて言うならば、長野県上田千曲高等学校の北方に当たる。車の捨て場所はそこら辺でどうにでもなる。
築かれた年代、お住まいになられていた方は不明です。「信濃の山城と館3、上田・小県編」に掲載がある。現在は字地名としては残っていないのだが、地名は、享保五年(西暦1720年)の「中之条村本貫改帳」に基づいているんだそう。信濃のお城の神もこの物件には情熱を持てなかったらしく、…その場所や館主については「千曲 第58号」(昭和63年7月)の田中正雄氏の調査報告書を参照されたい。…てな感じ…それならばと同書を上田市立図書館で検索してみたんだけど全くヒットしなかったので調べるのは諦めた。
実は2回目の訪問…正直言うと訪ねた事があるのを忘れてたw該地の上田市中之条については、同じ上田城のリア攻めマップにある緑川の堀の内を参照して下さい。ちなみに神本では周辺4箇所の堀の内が一纏めに掲載されている。きっとやる気が無かったんだろう。おいらもそうだった。
居館の現況は…一般住宅地等となっている。該地は長野県道65号、上田丸子線が千曲川を渡る古舟橋の袂でもあり、県道をそのまま進むのをよしとしない横道に逃げる車が結構通過する。初回訪問時には写真撮影中に派手にクラクションを鳴らされたんだけど、大人なおいらはぺこりんて頭を下げて素直に道を空ける。中指を突き立てて喉を掻き切る仕草をアピって抵抗の姿勢を示したりなんて事は決してしないのだ。あ、居館については頑張っても語れないレベルっす。
千曲川は、北岸(右岸)では後退が見られるそうだが、南岸(左岸)では侵食が続いているんだそう。該地と周辺一帯は、昭和の初めに発生した同川の氾濫により、耕地が荒れ地となり、国の融資を得て復旧を目指したが、耕地としての再生は不適当として放棄され、昭和六年(西暦1931年)に「市営上田飛行場」として開場した。市営の飛行場としては、全国で二番目に整備されたが、昭和八年(西暦1933年)、陸軍省に献納され、軍用の飛行訓練場となっている。昭和二十年(西暦1945年)八月十三日には空襲を受けた事もあるんだそう。
飛行場は随時拡張を続け、最終的には総面積十七万坪(約561983㎡)、現在の長野県上田千曲高等学校の敷地から、西限は下之条保育園付近、北限は千曲川の堤防沿いにまで及んでいたらしい。つまりは小坂井の堀の内はこの中に完全に含まれていた事になる。一帯を「ひら〜ってしてるなぁ…」て思ってたけど、なるへそ、納得、理解した。
飛行場跡を示すものは現在、「上田飛行場跡」の石碑ぐらいだけど、飛行場に隣接する未完の半地下工場跡が一部地形として現存する。該地は戦争遺跡として訪ねた方が正解なのかもしれない。
※脱線しまくりで何の口コミなのかは知らん。
※初回訪問時の写真は畏れ多い事にインスタにアップしてたw