古城館

古城館([上田城  周辺城郭])

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古城館の口コミ情報

2026年08月16日 内記かずりヾ(・ε・。)


古城館は上田城の南東約7.3km、千曲川南岸(左岸)、依田川東岸(右岸)、標高約523mの第二河岸段丘台地西縁上平場に立地する居館城です。西麓の馬頭観世音からの比高は15m位でしょか。城地の南面直下には段丘面に落ち込んで西流する練合沢が東西に小さな谷筋を形成している。

行き方はGoogleマップに「長瀬地蔵尊(延命寺)長瀬氏館跡」の名称で位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。この地蔵尊の建つ場所の東側の一帯が概ねの城地となっている。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。ちなみに長瀬地蔵尊も古城館の比定地の一つであり、境内には居館跡を示す立派な石碑が建っている。

築城年代は不明、築城者は長瀬氏と伝わる。同氏は源姓だそうだがはっきりとした系譜を持たず確証は無い。又、小県郡依田庄の庄司であったとも伝わるが、それならば同庄の開発領主、依田氏とも何らかの関係を有していた事になる筈だ。

平安時代の末期に、円子氏、依田氏等と共に木曽義仲を小県郡依田庄に招き入れその挙兵を援けたのは、長瀬氏の判官代義員(「源平盛衰記」、「平家物語」では重綱としている。)だ。同名は義仲の従弟とも語られるのだが何を根拠としているのかは判らない。

軍記物にも登場するが雑な扱いだ。「平家物語」では、寿永三年(西暦1184年)一月二十日、「粟津の戦い」、宇治川の先陣争いの際に、鎌倉方の畠山重忠(馬をも背負える本末転倒なストロングスタイル…)によって組み伏せられあっけなく討たれている。又、何があったんかは知らんけど、後世の錦絵には、「巴御前長瀬判官をこらしむる図」なんてのもあったりする。悲しい事に敵方はおろか巴御前の引き立て役としてさえ印象付けられてしまうんだけど、宇治川を前にして多勢に無勢をものともせずに鎌倉方を迎え討ったんだからその忠節の程は褒められるべき。

「小県郡誌」には、「古城は長瀬村古城にある平城にして、西と北とは依田川河段丘に沿ひ、南方に空堀の跡残れり。其の他開墾して田園となる。里傳に武田の幕下海野民部の臣春原六左衛門の居城といふ。其他に元和元年(西暦1615年)五月の南無阿弥陀仏の石碑あり、裏面に春原(すのはら〜須野原)六左衛門尉と刻す。城址の地系は飯沼氏の中城に似たり。源平盛衰記に見ゆる所の長瀬判官代義員が若し此の地の武士たらんには、或いは此処に拠りたらんか。飯沼氏長瀬氏何れも木曾義仲の従士たり、又信濃細石は曰く長瀬城は平賀武蔵守源朝雅の持ち城にして、永正十七年(西暦1520年)に至るまで家臣交代して之を守る、平賀源心に至り本城を退去す、之を以て大井美作守玄岑の持ち城となる、天文十二年(西暦1543年)武田氏のために本城内山落城せるを以て此の城を破却せしむと。」とあり、郡誌では、当地の武士、長瀬判官代義員が此処に拠ったのではないかとし、永正十七年までは平賀氏の持ち城、その退去後には大井美作守玄岑の持ち城、武田氏時代には春原六左衛門の居城であったと言っている。

信濃のお城の神が描いた縄張図を見ると4郭で構成されている。段丘崖に西面し、連続する台地上を空堀で断ち切り、主郭(「古城」の小名を残す。)の西側下段には犬走り、帯郭状の腰郭、その下段、現在は一般住宅が建つ平坦地にも郭が推定されている。又、空堀の外側には縄張図における通称2郭が推定されているのだが、こちらの方は畑地に変貌している事もあってその範囲が不明瞭、東辺、北辺が何処になるのかが判らない。城郭遺構は完全消滅していると思いきや、主郭と通称2郭とを隔てる結構な堀形が健在、周囲を巡る舗装道路の一部にも堀跡を求める事が出来るだろう。全体的には居館城としての大まかな形状だけは良好に残しているのではないだろうか。ちなみに前述した延命寺(山号は五穀山、檀家を持たないらしい。)も城館の場所としては適地(掘り抜き井戸が残る。)であり、或いは時代に伴う領主層等の交代によって城地自体に変遷があるのかもしれない。

城域内には小堂と「春原氏石碑」と称する石碑が建っている。郡誌の言う「其他に元和元年(西暦1615年)五月の南無阿弥陀仏の石碑あり、裏面に春原六左衛門尉と刻す。」がこれだ。春原氏は武蔵国を発祥としており、丹治氏の末裔、武蔵七党の一つ、丹党の末流を自称している。小県郡に移り住んだ経緯等にあっては不明だが、戦国時代には同郡の名族、海野氏の被官となり、武田氏時代には惣左衛門が実兄の小艸野若狭守隆吉(奥座隆在)と共に真田幸綱に従い活躍したそうだ。ちなみに隆吉は、生島足島神社文書中、「海野幸光等連署起請文」にその名が見られる。

※武居城のリア攻めマップにある、塩尻市洗馬の長瀬氏館も長瀬判官代義員の居館跡と伝わる。

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